第275回 1兆円の次は4兆円… 流通革命に賭すダイエー中内㓛の本心

文=樽谷哲也(ノンフィクションライター)
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評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)

年商1兆円達成から3年、連結決算で赤字を計上

 前回、渥美俊一が日本リテイリングセンター(JRC)の月刊機関誌「経営情報」1981(昭和56)年7月号の《特集・中内㓛》に寄せた論考のうち、《彼の悲しみ》という見出しを据えた一文を紹介した。中内㓛の悲しみについて、《克服しがたい矛盾の自覚である》と渥美らしい筆致で記している。

 時系列はやや前後するが、ダイエーが売上高3000億円を突破して三越の年商を抜き、小売業日本一となってから10年を迎えるころのことで、ついには前人未踏の売上高1兆円の大台に乗っていた。ダイエーは、年商1兆円に満足するだけでなく、すぐに4兆円構想を打ち出すことになる。性急で勇ましい呼号を、この華々しい当初から懸念する向きは少なからずあった。実際、年商1兆円の達成からわずか3年後の1983年には連結決算で赤字を計上するのである。危うい橋を渡ることになろうとも、自らも、周囲も、とめることができない頂(いただき)にガリバーは駆けなければならなかったのであろう。

 ペガサスクラブ第一世代の代表であることに誰も異論を差し挟(はさ)まぬであろうダイエーの栄枯盛衰についてコンパクトに綴(つづ)ってきて、そろそろ区切りをつけるべきところであろう。終盤へと急ぎたい。

 歴史を、後年になって訳知り顔で絵解きしてみせるのは容易(たやす)い。それでも、ダイエーが年商1兆円の達成を機に、中興の祖となるべき有為な経営者へ大胆に舵取りが受け継がれていたなら、あるいは現実味のない巨額の数字を追う覇権志向から脱し、客が押し寄せて大衆に熱烈に支持されていた繁盛店時代の原風景に立ち返っていたのならと、なにがしかの思いは募る。

 ダイエーが1兆円の売上高を達成することが確実となる瞬間は、社長の中内㓛が自ら派手な法被(はっぴ)を着て記者会見場に待機し、用意された売り上げの総額を速報で知らせる電話を受け取って、その瞬間、太鼓を盛大に打ち鳴らしながら、くす玉を割って祝うという仰々しいセレモニーが演出されていた。

 前掲の「経営情報」《特集・中内㓛》号に、1980年11月、箱根小涌園でJRC主催の政策セミナーで「1兆円のあと何をするのか」と題し、特別に演壇に立った中内の講義の抄録が掲載されている。

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