第273回 中内㓛が元凶、ダイエーの首都圏レインボー作戦が頓挫した本当の理由

文=樽谷哲也(ノンフィクションライター)
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評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)

衆議独裁のあり方とは

 1969(昭和44)年1月、次兄の博との間を常に取り持ってきた末弟の力(つとむ)が専務を辞し、株式の半分を20億円で手放してダイエーを去ると、スーパーサカエと結んでいた大阪の南北エリアの店舗展開協定を、中内㓛は平気の平左衛門よろしく反故(ほご)にした。サカエのテリトリーである南エリアにダイエーの店舗を出店していくのである。大下英治『中内㓛のダイエー王国』(現代教養文庫・1993年)に、当時を振り返った中内博の回想が引かれている。

 「いつでしたか、調停が破られたことについて兄に言ったら、『お前のところが、早う出てこんからや。どうせ、他のスーパーが出てくるやろ。そしたら、お前とこの打撃も大きい。そやから、わしが出すのや』と言うんですね。わたしは、兄の性格をよう知ってますからね。まあ、しようがないな……と思っていましたけど」

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