第272回 年商300億円だったダイエーに、総合商社のエリート10人が集団転職した理由

文=樽谷哲也(ノンフィクションライター)
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評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)

スーパーサカエとの南北分割協定を覆す

 1969(昭和44)年、長く社長である中内㓛の右腕であった末弟で専務の力(つとむ)が取締役を辞任して正式にダイエーを去った。中内㓛と力が経営方針を巡って抜き差しならぬほどに決裂していくのは、「レインボー作戦」と称するダイエーの首都圏進出計画を巡ってであった。

 ふたりの関係修復が不能といっていい状態に陥るまで、長兄が強気一辺倒で展開するダイエーと、次兄の博が営むスーパーサカエを、どうにか、みなが納得できる形で合併させることはできないかと策をひねり、話し合いの場を設けようと腐心したのも力であった。合併が不可能であるなら、せめてダイエーとスーパーサカエの店舗展開の地域を分ける紳士協定ともいえる合意へと、ふたりの兄の間を取り持って、苦心惨憺(さんたん)の末に至らせたのも力である。

 大阪市の淀川区より北をダイエーの、南をサカエの店舗展開のテリトリーとし、互いに侵食しないこととして、1967年に協定書に調印していた。

 中内㓛は、

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