わずか20年!スーパー業界後発のフードウェイが、九州と関東で売上急拡大できる理由を後藤圭介社長が語る

聞き手:阿部 幸治 (ダイヤモンド・チェーンストア編集長)
構成:大宮 弓絵 (ダイヤモンド・チェーンストア 副編集長)
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福岡県を本拠に精肉テナント事業者として創業し、2000年に食品スーパー(SM)事業に参入したフードウェイ。業界でも後発のスタートながら11年には関東への進出を果たし、近年は注目の商業施設内に次々と出店して存在感を発揮している。同社の強さの秘訣と今後の成長戦略を後藤圭介社長に聞いた。

精肉テナント事業者から九州最後発でSMに参入

──フードウェイは1991年に創業した、精肉テナント業のミートイン・ハイマート(福岡県/後藤圭介社長)がはじまりです。

フードウェイ代表取締役社長 後藤 圭介氏
ごとう・けいすけ●1960年生まれ。1979年、明治屋産業入社。87年に同社を退社し1991年にミートイン・ハイマート創業。93年有限会社ミートイン・ハイマートを立ちあげ、2000年に株式会社ハイマートを設立する。14年フードウェイに社名変更

後藤 私はミート・デリカ事業などを展開する明治屋産業(福岡県/谷尾一也社長)の出身です。そこで9年ほどSM内の精肉テナント運営のノウハウを学び、20代の終わり頃4~5人の仲間とともにミートイン・ハイマートを創業しました。はじめは小さな食料品店内の精肉テナントからスタートし、なんとか生計を立てねばと、必死にSMへのテナント出店を進めました。

──2000年にSM事業に進出します。九州最後発とも言われますが、そのきっかけは何だったのでしょうか。

後藤 店舗を10店ほどまで広げられた頃、ある出店先のSMが資金繰りの悪化で夜逃げしてしまいました。その時に物件のオーナーさんから「店全体の運営もやってくれないか」と依頼されたことがきっかけです。SMの運営は未経験でしたが、オーナーさんの支援もあり引き受けました。

 当時の流通小売業界は、旧壽屋やマイカル、長崎屋などの倒産が相次ぎ、チェーンストアが奈落の底に落ちていった時代でした。SM事業に参入してから2カ月後くらいには、精肉テナントとして出店していたほかの数店でも出店先のSMが閉鎖されることになり、店の購入を打診されました。そこで「生鮮市場ハイマート」という屋号で2000年4月には「室住店」を、6月には「福浜店」(ともに福岡県福岡市)と「前原店」(福岡県糸島市)を開業します。開業した店では後に、青果や鮮魚、総菜のテナントも退店してしまったため、最終的には全部門を自前で行うようになりました。この時はいま振り返っても苦労が多かったですね。

──そうしたなか、順調に出店を重ねていきます。

後藤 転機となったのは、

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聞き手

阿部 幸治 / ダイヤモンド・チェーンストア編集長

マーケティング会社で商品リニューアルプランを担当後、現ダイヤモンド・リテイルメディア入社。2011年よりダイヤモンド・ホームセンター編集長。18年よりダイヤモンド・チェーンストア編集長(現任)。19年よりダイヤモンド・チェーンストアオンライン編集長を兼務。マーケティング、海外情報、業態別の戦略等に精通。座右の銘は「初めて見た小売店は、取材依頼する」。マサチューセッツ州立大学経営管理修士(MBA)。趣味はNBA鑑賞と筋トレ

構成

大宮 弓絵 / ダイヤモンド・チェーンストア 副編集長

1986年生まれ。福井県芦原温泉出身。同志社女子大学卒業後、東海地方のケーブルテレビ局でキャスターとして勤務。その後、『ダイヤモンド・チェーンストア』の編集記者に転身。最近の担当特集は、コンビニ、生協・食品EC、物流など。ウェビナーや業界イベントの司会、コーディネーターも務める。2022年より食品小売業界の優れたサステナビリティ施策を表彰する「サステナブル・リテイリング表彰」を立ち上げるなど、情報を通じて業界の活性化に貢献することをめざす。グロービス経営大学院 経営学修士

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