評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)
ダイエー東西分割案に中内力が下した決断
父の中内秀雄が息子たちの仲違(なかたが)いに業を煮やして捻(ひね)り出したダイエーの東西分割案は、悩んだ末の妥協策だったとしても、合理性を欠いていた。関東と九州を「東」、関西と中国、中京を「西」とする案である。
社長で長兄の中内㓛は、「俺は東西どちらでもいい」といいながら、言を左右にして決まりがつかなかった。専務で末弟の力(つとむ)は、先に兄が選んで残されたほうを受けようと腹を据えていた。中内㓛がいきなりぶち上げた「レインボー作戦」と称する無謀ともいえる大型店主義の関東進出計画をめぐって、すでに兄弟の経営観の違いは修復不可能なほど亀裂が入っていた。
結局、中内㓛が「西をやる」と宣したことで、命運が決まった。力は、のちのダイエー常務で当時は東京支店長であった打越祐(たすく)に、「そっちに行くことになるかもしれん。よろしゅう頼むわ」と連絡している。
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