第264回 主導権は死ぬまで放そうとしなかったダイエー創業者中内㓛と3人の弟

文=樽谷哲也(ノンフィクションライター)
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評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)

父と子の綾

 ダイエーの中内㓛は、父の秀雄が会長を、次弟の博が社長を務める大阪・平野町の「サカエ薬品」を手伝い始めたものの、長兄なのに身分は平社員のままで、従業員たちから「お兄さん」と呼ばれ、軽く扱われているようでならない。堅実な博は、頑固に「薬屋は薬屋や」と繰り返し、総合食品店化などに乗り出そうとする㓛はもどかしい思いばかりしていた。

 そして、末弟の力(つとむ)と従業員1人とともにサカエ薬品を離れ、1957年4月、「大栄薬品工業」を設立して薬品メーカーを志向した。

 父の秀雄をも巻き込んだ中内4兄弟の凄絶といっていい相剋(そうこく)は、兄弟それぞれの性格や経営信条にもよったであろう。いまさら、このようなことを書き記したところで、なにが変わるわけでもないのだが、たとえば、ヨークベニマルの創業者の大髙善雄と、その4人の息子たちが結束して経営にあたり、きょうまで優良企業に育ててきたのと、中内家では、いかなる差異があったろう。

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