第260回 渥美俊一、ダイエー中内㓛と初の舌戦

文=樽谷哲也(ノンフィクションライター)
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評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)

「渥美さんは商売が上手なんや。僕は下手だから引退した」

 ペガサスクラブ発足メンバー13社につづく第2世代と並び、フードサービス業各社が渥美俊一の自信みなぎる指導により、陸続と伸長していった。

 そして、改めて強調するまでもなく、常に王者として拡大に次ぐ拡大をつづけていたのがダイエーである。野武士になぞらえられる戦闘集団でもあり、創業社長の中内㓛の激しいオーナーイズムについてゆけなくなり、別天地を求めて退社の道を選ぶ者もいる。

 たとえば、2001年8月、アメリカ同時多発テロ事件の起こるわずか10日ほど前に、渥美俊一はインタビュー取材で、こう明かしている。すでにダイエーは巨額の有利子負債を抱えて自主経営が窮きゅう地ちに至り、中内は第一線を退いていた時期のことである。

 「先日、久しぶりに中内さんに会ったら、面白いことをいっていたんですよ。『中くらい規模以上の流通企業であるなら、必ずダイエー出身の幹部がいるんだ』と。つまり、ダイエーで身につけたチェーンストアのノウハウによって、新しい働き場所を見つけて活躍している人がどこの会社にもいるんだという、中内さんらしい自負です。そのとおりですよ。かつては、“ダイエー学校”といっていいくらい、いい社員教育をしていましたから」

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