#3 ユニー“中興の祖” 家田美智雄さん、ユーストアをつくる
3つのコストを極小化、ローコストモデルを確立
まずは男性社員の獲得だ。家田さんは人事部長として、「このままユニーにいても花が開かず重荷になる」と会社に評価されていなかった男性社員が誰であるかを知っていた。本人のやる気、上司とのソリ、家族の問題…理由はそれぞれだ。
その中で転籍させればやってくれそうな者を選び、「お前、ユニーにはおれんな。おっても先は知れとるな」とささやき次々と声を掛けスカウトしていった。
「上司は快諾。本人も次に行くところはないと自覚しているから2つ返事でOKする。そして新天地でもう一花さかせようと――よく働くんです」。
1977年10月に第一号店の蟹江店(愛知県海部郡蟹江町)が開業する。
その少し前には、女性社員の問題も解決している。
レジや販売のパートを募集したところ、たまたま事務員志望の女性がいたのだ。
「渡りに船とばかりに、その方にパート事務員として入社してもらうことにした。日本の主婦は本当に優秀なんです。なのに賃金は時給だから勤務時間分のみ。この方は、経理を含むバックヤードの事務をほとんどこなしてくれた」。
家田さんは、「これだな」と思い、溜飲を下げた。
不動産費極小、人件費極小、商品原価極小というユーストアのローコストモデルができあがった瞬間だった。
人材獲得に苦労させられた分、福利厚生には気を遣った。
例えば、店には必ず社員食堂を設けた。もっともド田舎立地なので周囲に昼食をとる場所がない、という理由もあったが…。
調理担当は従業員。提供する日替わりランチは、バブル期の1990年代初頭で1食200円。しかも、うまい。出入りの業者も昼食時間を狙ってユーストアの店舗を訪れ、食事を済ませてから次の訪問先に向かった。
まさに千客万来。どの店舗もお客と訪問者で大いににぎわった。
とくにパートタイマーに対しては、とてもやさしい会社だった。原則週休2日。勤続5年で香港3泊4日のこづかい付き旅行。勤続10年は伊勢志摩の高級ホテル1泊2日旅行に行ってもらった。家田さんは、役員ともども必ず同行し、パートタイマーとの交流を深めた。
そもそも家田さんが蟹江店の開業に際して「5年勤めてくれるパートなんかいないはず」と高をくくって、パートタイマーを前に「勤続5年で香港旅行」という空手形を切ったことが発端だ。約束を守り、しっかりやり続けてきたこともあり、家田さんが「よく居つくなあ」と毒づくくらい高い定着率を維持した。
一方、正社員には、入社した年次ごとに米国中部~西海岸の流通業視察研修を用意している。