地元特産品の”泉州野菜”で経営危機から脱出! 「いずみピクルス」のブランド戦略
地場産業を営む中で経営危機に見舞われた町工場が業態転換。地元特産品で第二創業に成功した。NSW(大阪府)が展開する「いずみピクルス」。かつてはワイヤロープの製造を手がけていた会社が、泉州野菜の水なすを看板商品とする瓶詰めピクルスを製造・販売し、累計販売本数は100万本を突破。ふるさと納税の返礼品としても人気を集める。誕生のきっかけ、ブランド戦略、これからの展開について、西出喜代彦社長に話を聞いた。
ワイヤロープからピクルスへ 補助金を活用して業態転換

大阪府南西部に位置する泉州地域は、海上輸送に便利な立地であることなどからワイヤロープ製造が明治時代からの地場産業となっていた。「日本スチールワイヤロープ」の社名で設立されたNSWでも、エレベーターの吊り下げなどに使われる製品を手がけてきた。創業は1935年。戦前の昭和10年だ。高度成長期も追い風として事業拡大を重ねた。しかし、次第に中国や韓国など海外で製造された安価な製品が台頭して衰退。取引が減少し経営が悪化していった。
「売上の8割を占める得意先から吸収合併の誘いがあり、断ったところ売上が3分の1に減り、そのままでは会社が潰れてしまうような状況に陥ってしまった。当時の経営者だった父から会社が継ぐように求められてはいなかったが、何かチャレンジできることがあればやってみたいと思った。考えを巡らせる中、父の『自分は鉄を扱ってきたが、農へのあこがれがある』という言葉がヒントになって、工場での野菜栽培を検討した」(西出氏)
それが2010年頃。前年に国の成長戦略として「植物工場」が言及されたことから、第3次植物工場ブームも起きていた。だが参考になりそうな成功事例は見当たらず、金、人、技術の蓄えもないため難しい。視点が切り替わったのは、ある時、知り合いから大阪府が特産品を使った商品の開発に補助金を出す制度があると聞いたことだった。特産品として思い当たった地場産品の「水なすのぬか漬け」から、ピクルスのアイデアが生まれた。

「Uターンする前に勤めていた東京の会社でも、水なすのぬか漬けをお土産として渡すと喜ばれていた。その一方、ぬか漬けは苦手という人もいたので残念な気持ちもあった。水なすのよさをもっと知ってもらいたい。それが発想の起点となり、和ではなく洋の漬物にしたらどうかと考えた。まだ誰もやっていなかったので企画化して応募したところ、採用された」(西出氏)
2012年、大阪産業振興機構「おおさか地域創造ファンド」地域支援事業に選ばれ、本格的に事業化。販路を開拓する中、東京の百貨店で開催された物産展に出品したところ、大丸のバイヤーに声を掛けられてギフトカタログへの掲載が決定。JALUXのギフトカタログでは表紙にもなった。催事への出品で1日5万円ほどの売上だった商品が、ギフトカタログで200万円以上を売り上げた。2013年には西出氏が4代目社長に就任、NSWに社名を変更し、百貨店への出店も果たした。
単価が20~30万円のワイヤロープに対して、ピクルス1瓶を売って出る利益は200~300円。経営のバトンを息子に託した先代社長には心配もあったようだが、まずは業態転換前に計上していた売上を目標に掲げてクリアした。「ステップを踏みながら、課題を一つひとつクリアして、実績を上げていった。7年前に父は亡くなり、安心させるまではいかなかったかもしれないが『よくがんばっているな』というくらいには思ってもらえたのでは」と西出氏。現状維持に満足せず、商品の改良、新しい商品の開発に意欲的に取り組む。そのモチベーションを「アイデアを出すのが好きだから」と話す。