スパイ教育を受け、戦後小売の道に 一大勢力を築いたバロー創業者、伊藤喜美物語

2020/02/06 05:20
千田直哉

1日の売上は、現在の価値に直せば何と3600万円相当

当時の主婦の店恵那店内
当時の主婦の店恵那店内

しかし、それは杞憂だった。

初日の営業が終わり、3台のレジを締め、現金を数えると、売上は期待を大きく上回る36万円に達していた。大卒の初任給が2万円の時代だから、いまなら3600万円見当。売上を発表した時には従業員全員が泣いた。

社員同士が一丸となれば何でもできる――。

これがバローのスタートになった。

 

開業一年後の昭和34年に、伊勢湾台風が襲来し、愛知県を中心に甚大な被害を受け、主婦の店も大きな被害に見舞われた。

名古屋の卸売市場が台風で壊滅する中で、従業員全員で農家を駆け回って野菜などをかき集め、食材を供給し続けた。

そして、このようなひとつひとつの積み重ねが地域から信頼されていくことになる。

 

何よりも地域のお客に喜んでもらえる店をつくること。地域に貢献することを伊藤さんは生涯をかけて追求してきた。

すべての営業活動は地域社会に貢献するためにある、店はお客さまのためにある、これらの商人道の追求と新しい業態であるスーパーマーケットに対する情熱が相まってバローの発展の礎になった。

 

昭和49年、社名をバローに変更。バローとは、「武勇」「勇者」を意味する。

平成5年、名古屋証券取引所第2部上場。同6年、会長に就任。平成17年、東京証券取引所第1部および名古屋証券取引所第1部に上場指定替え。

伊藤さんは、同年、相談役名誉会長に就任した。

 

誰よりも人を育てることに熱意をもっており、「バローは人をつくる会社にしたい」が口癖だった。

若い人を育てるという観点から財団法人伊藤青少年育成奨学会を発足。また、「恵那市中央図書館~伊藤文庫~」を寄贈した。

 

娘婿であり、バローホールディングス現会長兼社長の田代正美氏は、「恵那の地で常に日本一を目指してきた人だった。伊藤の志は、バローの伝統としてしっかりと、引き継がれるだろう」と伊藤さんについて語っている。

 

 

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