新・北海道現象の深層⑨ イオンという「外資」が、3極寡占化を促した

2019/12/18 06:01
浜中淳(北海道新聞)

2000年頃まで“無名”だったイオン

 ところで、岡田氏が札幌で「外資の脅威」を語っていた99年当時、「イオン」「ジャスコ」の名前を知っている北海道民はほとんどいなかった-と言ったら驚く方も多いのではないでしょうか。

 イオンが北海道に進出したのは、食品スーパー子会社の北海道ジャスコ(現マックスバリュ北海道)が小樽市内に「マックスバリュ」を出した95年。70年代に北海道進出を果たしたダイエー、イトーヨーカ堂、西友に大きく後れをとりました。しかも、北海道ジャスコはその後の4年間に食品スーパー7店舗(うち札幌は1店舗)を出店するにとどまり、当時の社長が「知名度不足」を嘆くような存在でしかなかったのです。

 北海道民が「イオン」「ジャスコ」の名を認識するのは、イオン本体が郊外型ショッピングモールの道内1号店を釧路市内に出店した2000年9月以降のことです。

 イオンの大型店出店はそれ以前にも何度か取りざたされてはきたものの、実現のタイミングを逸してきました。その結果、企業として成長途上にあった70年代に北海道に店を出した他の本州大手とは異なり、イオンは巨大流通資本になってから海を越えて上陸する形になったのです。そして出遅れを取り戻すべく、イオンは一気に出店攻勢をかけた。05年までの5年間に道内で建設したショッピングモールは実に9カ所にも及びました。

 外資の本格攻勢に備えて「グローバル10」の目標を掲げたイオンにすれば、空白地帯の北海道内の店舗網構築を何としても急ぐ必要があった。皮肉なのは、そのように体力に物を言わせて巨艦店を次々建設していくイオン自身が、当時の道民の目には「外資」と同質の存在に映っていたということです。

 このイオンの登場の仕方は、北海道の小売業経営者を大いに刺激することになりました。北海道拓殖銀行破綻後の不況という「厳しい予選」を勝ち残り、「北海道現象」を巻き起こした自信を背景に、イオンという「外資」の大攻勢への対決姿勢を鮮明にしたのです。

“外資”イオンの存在が、アークスを生み出した

 02年、札幌のラルズと帯広の福原の経営統合による持ち株会社・アークスの設立は、そうした「道民心理」を反映したものでした。

 この経営統合の斬新さは、業績、財務ともに健全な上場スーパー同士が手を組んだ点にあった。それまで地方スーパー同士の統合は、経営難に陥った企業を救済するケースにほぼ限られていました。同族企業が多い地方スーパーの経営者は、よほど経営が傾かない限り、「一国一城の主」でいたいと考えるのが普通であり、経営戦略的に統合を選択することはほとんどなかったのです。

 この「常識」を覆し、ラルズと福原という「勝ち組」同士の手を握らせたのが、横山清ラルズ社長(当時)が訴えた「地元企業が結束し、外敵から北海道の小売り文化を守ろう」という「大義」でした。

 アークス設立直後の03年5月、横山氏は日本スーパーマーケット協会のシンポジウムでこう述べています。「イオングループはありがたい存在だ。イオン対策をきっちりとやり遂げることが顧客の満足度を高め、同時に外資の本格攻勢という未来に向けての予行演習にもなる」。横山氏もまたイオンとの戦いの延長線上に外資の進出を見据えていたのです。

 「地元企業の大同団結」という横山氏が掲げた大義に触発され、アークスにはその後も、旭川のふじ、札幌の札幌東急ストアなど、地元の優良スーパーが続々と結集し、全国有数規模の食品スーパーに発展していくことになります。

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