このシリーズは、部下を育成していると信じ込みながら、結局、潰してしまう上司を具体的な事例をもとに紹介する。いずれも私が信用金庫に勤務していた頃や退職後に籍を置く税理士事務所で見聞きした事例だ。特定できないように一部を加工したことは、あらかじめ断っておきたい。事例の後に、「こうすれば解決できた」という教訓も取り上げた。今回は、意思決定をする立場の部長でありながら、考えを部下に正しく、迅速に伝えないために生じる混乱を取り上げた。
第9回の舞台:化粧品メーカー
化粧品メーカー(社員数600人)。業界中位だが、業績は10数年以上伸び悩む。一時期、業界上位企業との合併がささやかれた。
「まずはあなたが考えなきゃ」
といつまでも自分の意見を言わず、意思決定しない上司
5階の会議室。企画・広報部長の尾山(49歳)の声が、静かに響く。
「私はこの案に関心があるけど、うちの会社のカラーには合わないと思う…」
部員の児玉(36歳)が提出した来期のプロモーション案に難色を示した。ほかの部員7人は、何も言わない。尾山もそれ以上、話さない。
ここに至るまでに尾山を含め、全員で4回話し合った。1回につき、2時間近い。毎回、尾山は黙って議論を聞く。最後に、締めくくりとして意見を言う。だが、部員たちはその意味がわからない。結局、どうするべきなのかが、見えてこない。
個々の仕事の量は10年程前に比べると、明らかに増えている。会社は人件費総額を厳密に管理するため、部員の数を減らしてきた。部員は「(やるべきことが多いので)時間が惜しい」とよく言う。会議で、生産性のない話し合いはしたくないのだ。尾山がいないところで、愚痴をこぼす。
「(部長の)考えていることがわからない…」
「なぜ、意思決定をしないのか?」
「もともと、経理にいたから、(企画・広報などの)仕事を心得ていない」
「できないとは言えないから、なんとかメンツを保とうとしている」
日々の仕事でも同じだ。尾山に報告すると、その仕事に関わる一般的な解説を10分以上かけてする。ところが、意思決定者である部長としての考えを伝えない。「結局、どうすればいいんでしょうか?」と聞くと、「まずは、あなたが考えなきゃ…」と突き放す。
部員は、何と言えば部長が納得するのか、部長の考えを知りたいのだ。ところが、部長就任以降のこの2年間、そのような考えを述べる機会がほぼまったくない。課長補佐の中田(39歳)がやや興奮した口調で尋ねる。詰め寄るような雰囲気だった。
「会社のカラーに合わない、ってどういう意味でしょうか?」
尾山は、顔をやや硬直させて答える。
「それを考えるのが、君たちの仕事。僕は、みんなの自主性に期待したい」
会議が終わる。児玉がプロモーション案を新たに考え直し、2週間後の会議で説明することになった。尾山が退席した後、児玉がつぶやく。
「いつまで、こんなことを繰り返すの?終わりが見えないよ」
2か月後、児玉はまだ、プロモーション案を書き直している。部員たちの表情は沈んだままだ。
次のページは
こうすればよかった!解決策
丸投げは一種の「パワハラ」
「自主性」という耳障りのいい言葉を持ち出し、部下に再考を促すが、実は自分自身が心得ていないのではないか。そんな疑念がつきまとう部長ではある。私は、次のような教訓を導きたい。
こうすればよかった①
「主体性」という言葉を突き詰めて考え、自分の言葉で話す
企画にしろ、日々の報告にしろ、部下から意見や考えを求められたら、上司は部下の経験や理解力を踏まえ、自分の言葉で言わなければいけない。部下にとってはそれが「ガイドライン」や「参考」「模範」になり、考え始めることができる。それらがない中、独自で進めるのは「主体性」ではなく、「勝手な判断で対処している」だけだ。
尾山のような管理職は、少なくない。部署の責任者でありながら、個々の部下の仕事のおおまかな流れやポイント、特に重要な点、難しいところを共有していない。それらを「部下育成」の名のもと、各自に丸投げしているケースすらある。こうなると、事実上、管理職を放棄しているとも言えよう。尾山は、それに近い。
このレベルの管理職を変えることはすぐには難しいだろうが、せめて部下から意見や考えを求められたら、可能な限り、具体的に受け答えはしたい。自分の経験や知見に自信がないならば、部内でその意味で信頼できる部下に任せればいいではないか。「できないのに、できる」と虚勢を張るのが、管理職の仕事ではない。
こうすればよかった②
丸投げは一種の「パワハラ」と心得よ
ここ10数年、「パワハラ」という言葉が多くの人に知られるようになった。それは好ましいが、今なお、勘違いをしている人もいる。信じがたいが、部下に何かを言えば、「パワハラ」と信じ込んでいる人もいるようだ。「指導」と「パワハラ」の区別は難しいが、確実に理解しておきたいところだ。
尾山のように部下に丸投げするのも、パワハラのようなものだと私は思う。つまり、意思決定権を持ちながら曖昧な態度をして、今後の道筋をつけようとしない。解決策や問題点を何ら指摘することなく、部下たちに考えるように仕向ける。児玉が「終わりが見えない」と嘆くのは当然ではないか。
こうすればよかった③
管理職の役割と使命を理解する
しょせん、このレベルを部長職につけている会社なのだ。部下たちは、あきらめたほうがいい。私の観察では、大手企業でも業界中位より下になると、こういう管理職が目立つ。新卒、中途ともに採用力に難があり、人材の質が業界上位よりも相対的に低い。定着率は慢性的に低く、課長や部長になるのは難しくはない。むしろ、相当数が管理職にはなる。
本来は、昇格のハードルを高くするべきである。管理職にはなかなかなれないようにするのが好ましい。しかし、それができない。もはや、どうすることもできないレベルの管理職がいる。こうなると部下たちは心身の健康を守るためにも、徒党を組んで黙殺するしかない。会社が内側から崩壊する前に、人事、教育を見直すのが先決であり、トップがそのことに気づくことも重要だ。
神南文弥 (じんなん ぶんや)
1970年、神奈川県川崎市生まれ。都内の信用金庫で20年近く勤務。支店の副支店長や本部の課長などを歴任。会社員としての将来に見切りをつけ、退職後、都内の税理士事務所に職員として勤務。現在、税理士になるべく猛勉強中。信用金庫在籍中に知り得た様々な会社の人事・労務の問題点を整理し、書籍などにすることを希望している。
当連載の過去記事はこちら