第9回 仕事の丸投げは一種の「パワハラ」 「自主性」を楯に、部下を萎えさせる上司

神南文弥(じんなん ぶんや)
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丸投げは一種の「パワハラ」

 「自主性」という耳障りのいい言葉を持ち出し、部下に再考を促すが、実は自分自身が心得ていないのではないか。そんな疑念がつきまとう部長ではある。私は、次のような教訓を導きたい。

こうすればよかった①
「主体性」という言葉を突き詰めて考え、自分の言葉で話す

 企画にしろ、日々の報告にしろ、部下から意見や考えを求められたら、上司は部下の経験や理解力を踏まえ、自分の言葉で言わなければいけない。部下にとってはそれが「ガイドライン」や「参考」「模範」になり、考え始めることができる。それらがない中、独自で進めるのは「主体性」ではなく、「勝手な判断で対処している」だけだ。

 尾山のような管理職は、少なくない。部署の責任者でありながら、個々の部下の仕事のおおまかな流れやポイント、特に重要な点、難しいところを共有していない。それらを「部下育成」の名のもと、各自に丸投げしているケースすらある。こうなると、事実上、管理職を放棄しているとも言えよう。尾山は、それに近い。

 このレベルの管理職を変えることはすぐには難しいだろうが、せめて部下から意見や考えを求められたら、可能な限り、具体的に受け答えはしたい。自分の経験や知見に自信がないならば、部内でその意味で信頼できる部下に任せればいいではないか。「できないのに、できる」と虚勢を張るのが、管理職の仕事ではない。

こうすればよかった②
丸投げは一種の「パワハラ」と心得よ

 ここ10数年、「パワハラ」という言葉が多くの人に知られるようになった。それは好ましいが、今なお、勘違いをしている人もいる。信じがたいが、部下に何かを言えば、「パワハラ」と信じ込んでいる人もいるようだ。「指導」と「パワハラ」の区別は難しいが、確実に理解しておきたいところだ。

 尾山のように部下に丸投げするのも、パワハラのようなものだと私は思う。つまり、意思決定権を持ちながら曖昧な態度をして、今後の道筋をつけようとしない。解決策や問題点を何ら指摘することなく、部下たちに考えるように仕向ける。児玉が「終わりが見えない」と嘆くのは当然ではないか。

こうすればよかった③
管理職の役割と使命を理解する

 しょせん、このレベルを部長職につけている会社なのだ。部下たちは、あきらめたほうがいい。私の観察では、大手企業でも業界中位より下になると、こういう管理職が目立つ。新卒、中途ともに採用力に難があり、人材の質が業界上位よりも相対的に低い。定着率は慢性的に低く、課長や部長になるのは難しくはない。むしろ、相当数が管理職にはなる。

 本来は、昇格のハードルを高くするべきである。管理職にはなかなかなれないようにするのが好ましい。しかし、それができない。もはや、どうすることもできないレベルの管理職がいる。こうなると部下たちは心身の健康を守るためにも、徒党を組んで黙殺するしかない。会社が内側から崩壊する前に、人事、教育を見直すのが先決であり、トップがそのことに気づくことも重要だ。

 

神南文弥 (じんなん ぶんや) 
1970年、神奈川県川崎市生まれ。都内の信用金庫で20年近く勤務。支店の副支店長や本部の課長などを歴任。会社員としての将来に見切りをつけ、退職後、都内の税理士事務所に職員として勤務。現在、税理士になるべく猛勉強中。信用金庫在籍中に知り得た様々な会社の人事・労務の問題点を整理し、書籍などにすることを希望している。

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