特別リポート:憂色深まる黒田日銀、財政との一体化にリスクも

2019/06/18 16:15
    ロイター
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    2015年7月 日銀で記者会見する黒田東彦氏
    6月18日、黒田ノミクスは失敗だったのかーー。記者会見で黒田東彦日銀総裁が繰り返す強気の姿勢とは裏腹に、日銀内外では同氏の手腕に対する視線が日増しに厳しさを増している。写真は2015年7月、日銀で記者会見する黒田氏(2019年 ロイター/Yuya Shino)

    [東京 18日 ロイター] – 昨年4月9日の午後、再任の辞令を受けるため首相官邸を訪れた黒田東彦日銀総裁は、にこやかに出迎えた安倍晋三首相と握手を交わし、報道各社のカメラに収まった。

    「2%の物価安定目標の実現に向けて、さらにあらゆる政策を総動員してもらいたい」。首相が送ったエールには、これまで通りの強い期待が込められているかに思われた。

    しかし、報道陣が退席した後、首相の言葉は微妙に変化し、日銀のように物価目標の達成時期を明示している中央銀行は他の主要国にはない、などと話し始めた。「首相は(物価目標2%の達成について)関心が低くなっているのではないか」。その場を知る複数の関係者は意外な変化を感じ取ったという。

    それから2週間余り、4月27日に開いた日銀政策決定会合では「経済・物価情勢の展望(展望リポート)」を決定、その記述からはこれまで言及してきた目標の達成時期が消えた。削除の背景には首相の意向もあったと関係者は推測する。

    物価を2%に安定させる目標は堅持するとしても、達成時期の重荷は降ろしたい黒田総裁。アベノミクスに対する野党の批判をかわしたい安倍首相。二人の思惑が一致したタイミングでの削除判断とみられたが、2013年3月の日銀総裁就任以来、6回にわたって達成時期を先送りしてきた黒田氏にとっては、金融政策の停滞を改めて内外に印象付ける結果となった。

    黒田ノミクスは失敗だったのか──。記者会見で黒田氏が繰り返す強気の姿勢とは裏腹に、日銀内外では同氏の手腕に対する視線が日増しに厳しさを増している。日銀はいまだに物価目標を達成できておらず、かつて「黒田バズーカ」の異名をとるほどに世界の市場を震撼させた影響力も今はない。

    黒田氏のもとで日銀理事を務めたみずほ総合研究所エグゼクティブエコノミスト、門間一夫氏は「おそらく次のリセッションで、金融政策の限界がはっきりする」と断言する。米中貿易摩擦などで世界的な景気減速への不安が一段と広がる中、そうした懸念はいま現実的なリスクとして政策当局や市場関係者に意識されつつある。

    <物価目標、政権支持率への思惑>

    「2%の物価安定の目標は日銀政策委員会が自ら決定したもの。物価の安定という日銀の使命を果たすためにはこれを実現していくことが必要だ」。今年3月15日、黒田総裁は金融政策決定会合の後の記者会見で、これまで通り2%の物価目標の実現を目指す日銀の姿勢が揺らいでいないことを明確にした。

    黒田氏のコメントは、同日に麻生太郎財務相から飛び出した「衝撃発言」が誘因だった。記者団から金融政策について問われた麻生氏は「物価が2%に上がらなかったから『けしからん』と言っている国民は1人もいない」と発言。「2%にこだわり過ぎると、おかしくなる」とも語った。

    麻生氏独特の直截な物言いであることを差し引いても、この発言は物価目標に対する安倍政権の思い入れが急速に薄れている現状を明示している。

    ある政府関係者は、政権支持率への影響を理由の一つに挙げる。「国内の景気もそれほど悪くなく、物価も金利も低位で推移している状況が国民にとって最も心地良く、政権の支持も得られやすい」という解説だ。

    首相の経済ブレーンを務める浜田宏一内閣官房参与(米イエール大名誉教授)は、「国民生活にとって望ましいのは、物価が上がることではない。同じ経済状態であれば、物価が下がった方が、国民生活のためには良い」と語った。

    今月10日の参院決算委員会。大塚耕平委員(国民民主党・新緑風会)の質問に対し、安倍首相は2%の物価安定目標が達成できていないことを認めたうえで、「2%の物価安定が一応目的だが、本当の目的はたとえば、雇用に働きかけをして、完全雇用を目指していくことであり、そういう意味においては、金融政策も含め、目標を達成していると思っている」と発言。物価目標が未達成でもアベノミクスは成果を出しているとの見方を示した。

    <失速したレジームチェンジ>

    黒田氏の采配の下、日銀はこれまで物価安定目標の実現とデフレマインドの解消を最優先に掲げ、「異次元」と評された大規模な金融緩和、マイナス金利の導入、イールドカーブコントロール(YCC)という大胆な新政策を次々と繰り出してきた。

    13年4月、物価上昇率2%を2年程度で達成すると高らかに宣言して始まった日銀の量的質的金融緩和(QQE)は、「衝撃と畏怖(いふ)」によって市場の流れを変え、さまざまな経済主体にしみ込んだデフレ心理を払しょくする、というショック療法だった。生鮮食品を除いた消費者物価は一時、前年比1.5%上昇と2%に手が届くところまで上昇した。

    しかし、14年4月の消費税率引き上げ後の消費の冷え込みが、黒田日銀の目算を狂わせた。同年10月のQQE拡大、そして16年1月のマイナス金利政策の導入は、いずれも市場の機先を制した追加緩和策だったが、原油相場の大幅下落や海外景気の動揺など、日銀がコントロールできない逆風に翻弄された。

    金融政策の大胆な枠組み変更によって人々の心理の転換も狙った「レジームチェンジ」は失速を余儀なくされた。

    「黒田バズーカ」は思うように効果が持続せず、弾薬の不足も目に見えていた。日銀内には「我々だけが頑張っても人々に根付いた手ごわいデフレマインドはなかなか変えられない」(幹部)という焦燥感が広がっていた。

    <金融政策、財政の「燃料」役に>

    日銀の足踏みが続く中、アベノミクス推進の主役は次第に財政政策へと移行していく。金融政策は、政府にとって超低金利での資金調達に欠かせない財政政策の燃料という位置づけだ。

    16年6月、安倍首相は「新たな判断」を理由に17年4月に予定されていた10%への消費税率引き上げを19年10月に再延期すると表明し、大規模な景気対策の実施を宣言した。

    これに呼応する形で、16年9月、日銀はイールドカーブ・コントロール(YCC)政策を導入。その後、2年半以上にわたって長期金利ゼロ%程度という超低金利政策が継続している。結果として低利での国債発行が続き、金融政策は積極財政を可能にする「燃料」としての機能を発揮、19年度の国家予算は当初段階で初めて100兆円を突破した。

    ニッセイ基礎研究所の櫨浩一専務理事は、16年の消費増税の延期以降、「政権の軸足が財政に移った」と指摘。同年1月に日銀が決めたマイナス金利政策も、市場や国民の混乱を深めただけで「金融緩和の有効なツールにならなかった」とし、「金融政策の限界がより確かになり、『財政しかない』という政権の思いが強まったのではないか」と解説する。

    経済官庁のある幹部は、大きく低下する長期金利について、「低金利で国債費は当初の見込みよりも大幅に減少した。有望な財源になる。財政投融資を活用してリニア中央新幹線などの整備に投入するのも悪くない」とそろばんを弾いた。

    <次の一手、せめぎ合い続く>

    「黒田総裁は今でも物価2%目標は実現できると信じている」(日銀幹部)。これまでの大胆な金融緩和とぶれない姿勢によって日本経済を「デフレではない状況に改善させた」(同)として黒田氏を評価する声は少なくない。

    一方で、日銀内には黒田氏の求心力の弱まりを指摘する関係者もいる。物価安定目標の実現が先送りされる一方、金融機関の収益への打撃など長期化する大規模緩和の副作用が表面化する中で、デフレ脱却の機運だけでなく、黒田氏の采配や発言力への期待が低下してきたことは否めない。

    そうした中、政策立案の手腕を問われているのが副総裁の雨宮正佳氏だ。日銀生え抜きのキャリア官僚として黒田総裁を就任当初から支え、総裁の意を受けて日銀の新施策を編み出してきた。政府、政治家、財界などに広い人脈を持ち、黒田氏の後継候補としても名前が挙がる。

    日銀は今年4月、低金利環境の長期化で地方銀行などを中心に金融システムにおけるリスクが蓄積しているとの分析報告をまとめた。こうした黒田ノミクスの副作用にどう配慮するか、雨宮氏には政策展開の重責がのしかかる。一方、日銀が国債買い入れを継続して財政を支援するなど、より積極的な金融緩和を求めるリフレ派からの圧力も強く、次の一手をめぐるせめぎ合いはなお続いている。

    <財政ファイナンス拡大のリスク>

    金融政策が財政拡大を支援するという政策一体化への動きは、日銀にとって危険な選択肢にもなりかねない。ある日銀OBは「日銀から政府への所得移転であり、日銀の独立性を危うくするとの危惧はあった」と当時を振り返る。

    日銀の国債保有高はこれまでの大規模買い入れによって、すでに発行残高の4割を突破、500兆円の大台に迫っている。日銀の金融政策は、すでに日銀自体が否定している財政ファイナンスになっているとの指摘も少なくない。

    中央銀行が政府に対して資金を直接供給する財政ファイナンスは、財政規律のゆるみを招くと同時に、中央銀行が歯止めない貨幣発行に追い込まれ、通貨の信認を揺るがすという大きなリスクも引き起こす。

    そうした財政ファイナンスを正当化する考え方として、関心を集めている学説がある。米国の学者が提唱する現代金融理論(MMT)だ。

    独自の通貨を持つ国の政府は、通貨を限度なく発行できるため、デフォルト(債務不履行)に陥ることはなく、過度のインフレが起きない限り、政府債務残高がどれだけ増加しても問題はないというのがその主張。6年以上も大規模な金融緩和を継続し、政府債務残高が国内総生産(GDP)の2倍を超え、同時に低インフレ・低金利が続いている日本はMMTの成功事例との見方がある。

    麻生財務相は「日本を実験場にするつもりはない」とMMTを一蹴し、財務省は4月17日の財政制度等審議会の分科会に提出した資料の中で、MMTに対する海外の当局者や有識者の反論を列挙した。

    黒田総裁も5月17日の講演で、「MMTと言われる理論が正しいとは思わないし、日本がMMTの政策を実施しているとは全く思わない」と切り捨てた。日銀内には「金融緩和は(欲しがれば手に入る)フリーランチを提供しているわけではない」(別の日銀幹部)など、現在の金融政策と副作用の激しいMMTとの同一視を批判する声が強い。

    <新たなリセッションに限られた選択肢>

    しかし、先進国経済が低成長・低インフレ・低金利に直面する中で、日本だけでなく、各国の中央銀行が「金融政策の効果発現に苦労」(日銀幹部)しており、いかに金融と財政のシナジーを拡大するかは各国の共通課題といえる。

    すでに様々な金融緩和措置を実施してきた日銀が、新たな景気後退時に対応する効果的な政策手段を残しているのか、不透明感はぬぐえない。一方で、「さらなる金融緩和は金融機関経営への悪影響を中心に、日本経済に対して逆効果になりかねない」(政府関係者)との懸念もある。

    門間氏は、次のリセッションを金融政策の試金石と見ると同時に、名目金利が名目成長率を長く下回っている状況において「財政をどこまで使えるかという議論は、大きな論点になり得る」と予想する。

    日銀OBでソニーフィナンシャルホールディングス・チーフエコノミストの菅野雅明氏も、次の景気後退局面で「唯一残された手段が、財政と金融の協調だ」と指摘。日銀による国債買い入れの再拡大、新たな政府と日銀のアコードの締結、政府がコミットする新しい形のフォワード・ガイダンスの導入などが政策の選択肢になるとの見方を示した。

    黒田総裁はかつて、大規模金融緩和からの出口戦略に前向きと市場から受けとめられたこともある。だが、今は金融正常化への道筋が見えていないどころか、さらなる緩和へのプレッシャーが高まっている。

    目標の2%の物価上昇率に向けたモメンタムは、むしろ少しずつ低下してきており、日銀としては追加緩和を模索する方向にならざるを得ない」。元日銀副総裁の山口広秀・日興リサーチセンター理事長はそう語ったうえで、「(日銀が)使える手立てはかなり限られている」と、黒田氏が新たな隘路に直面する可能性を指摘した。

    (伊藤純夫 取材協力:木原麗花、中川泉、竹本能文 編集:北松克朗、田巻一彦)

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