評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)
オーナー家の意向と従業員たちの思い
1980年代の終わり、不動産開発会社として必ずしも芳しいとはいいがたい勇名を馳(は)せた秀和に、ライフコーポレーションが乗じるような格好となった首都圏チェーンの買収合戦の様相について、渥美俊一は、フィクサーといって差し支えないであろう暗躍した人士たちの実名を挙げながら、重層的に絵解きをしてみせた。
「いなげやの猿渡(さわたり)家は、せめて11%は持つ筆頭株主に戻りたい、といいました。イオンは当時の時価より3割高い値段で秀和から、いなげや株を買い取っていた。猿渡家が要望どおりの株を買い戻すなら、たしか65億円くらいの現金(ゲンナマ)が必要だったはずです。ろくな担保もないのに、そんな金を貸す銀行はあるはずがない。さらに、秀和は、このままなら残りの持ち株を外資に売るとまでいい始めていました。猿渡家が仮に銀行から融資を受けられたとしても、返済できない、という結論にならざるをえなかったんです」
渥美へのこのインタビュー取材は2002年5月のことであり、秀和による株式買い占め騒動が起こっていた当時、イオンは旧名のジャスコといった。混乱を避けるため、本稿ではイオンとして統一表記する。
渥美は、急速に資金繰りの悪化する秀和、メインバンク、仲介役ともなりつつあったイオンと「三すくみの状態だった」と解説した。実際は、四すくみであり、五すくみであったことが窺(うかが)える。
「それからね、いなげやの従業員持ち株会の分と猿渡家一族の持ち株を合わせると、15%くらいになると見込まれたんです。でも、まず従業員持ち株会が猿渡家側に回るかどうかが疑問であるというのが僕なんかの見るところでしたね」
外野から眺めていたとでもいうような口ぶりだが、名うての経営コンサルタントとして、利害関係を慮(おもんぱか)って軽業師のような立ち回りをするのは造作もないことである。渥美俊一が直接間接にかかわっていたことは明らかであった。
「オーナーの猿渡家がどう考えていようと、いなげやの幹部や社員たちは、創業家だから敬意は払っているものの、本音では『イオンと
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