第291回 複雑な人間模様が絡み合う、「首都圏流通再編」構想

ノンフィクションライター:樽谷哲也
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評伝 渥美 俊一(ペガサスクラブ主宰日本リテイリングセンター チーフ・コンサルタント)

「だから、うちは捨てられた」

 ペガサスクラブを代表する初期のメンバーで、チェーン化の成功例やあるべきモデルでもあったスーパーマーケット「いなげや」と、フードサービス業のすかいらーくグループとは、会社の歴史や歩みにこそ違いはあったとはいえ、大きく転換し、そして飛躍すべく賭けに出んとしていたとき、岐路となるスタートラインに格別の開きがあったようには見えないところはあった。コロンブスの卵のごときであると一言で片づけるには躊躇(ためら)いを覚える両社の経営トップが交わしたというしんみりとしたやりとりこそ、そうした辺りの微妙な綾が重みを伴って表れている。

 創業家出身で、いなげやの第3代社長であった猿渡清司(さわたりせいじ)がすかいらーく社長の茅野亮(ちのたすく)に「あなたはよかったね、入らなくて」と、しみじみ語りかけたというエピソードは、チェーンストア経営の勇ましい一面とは対照をなす厳しい現実を、星霜を超えて伝えている。私のようにスーパーマーケットの世界へ入らなくてよかったね、と──。

 渥美俊一の手引きでアメリカの最新チェーンストア事情を、相前後し、つぶさに見て帰国して、意気に燃えた若き日、互いの志に違いはなかったろう。

 「アメリカを見て、われわれが小売業から撤退をして外食業へ行こうと商売替えを決めたとき、うちの年商は10億円もいっていなかった。7億から8億、あるいは、5億から6億円くらいの規模に落ち込んでいたかもしれません」

 そのように振り返ったうえで、茅野は「だからうちは捨てられたんです」とつづけた。超繁盛店であった「ことぶき食品」を、との意である。

 「西友さんたちが大型の新店を次々に出店してきて、われわれの売り上げはだーんと半分になっちゃった。当時、標準とされた売り場面積350坪の標準型のスーパーマーケットを、きちんと調べてつくっていかなければならなかった。しかし、土地を手当てしようにも、われわれにはそんな金は用立てられないわけですから、とても勝負にならなかったんですよ」

 標準型のスーパーマーケット、のちの日本型スーパーストア、やがてはショッピングセンターへ進出していけるかどうかが分かれ目になったのであろうとも話した。

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