「日本の人は規律正しい」という定説は、その通りだと思う。
たとえば、ここ神保町にある人気のラーメン店では、お客が常に整然と列をつくっている。あまりにも長いので、列は中盤で建物の壁に沿って直角に曲がることを強いられるのだが、見事に並び切り、入店するまでの時間を静かに過ごしている。
“フォーク並び”だって簡単にやってのける。数台が並列する銀行のキャッシュディスペンサー前では、誘導線がなくとも、先に並んだ者が先に利用できるように、各々が理性を働かせて器用に列をつくっている。
「日本の人は1人でも列をつくる」と評されることも当然のような気がする。
ところが最近は、ずいぶん行列の様子が様変わりしてきた。
新大阪駅構内のたこ焼き屋では、列をつくることなく、お客がキャッシャー窓口を囲んでいた。整列のためのロープが張ってあっても無視だ。
電車のホームでは、線の外側から突然、はやてのように人影が滑り込む。
また、最近、混雑するディスカウントストアにて、平然と割りこみする輩を目にした。
たまたまなのかもしれないが、こうしたケースの共通項は、主役が外国人観光客であることだ。
彼らにとっては、それが常識なのかもしれないけれども、日常生活を日本で送る者にとっては実に迷惑な話だ。
そして、仮に規律をもって並ばないことがグローバル化であるとするならば、そんなグローバル化はいらない。