《錦織圭選手がテニスの全米オープンで準優勝したのに、チダ君はBLOGで何も書かないんだね。これまで、あれほどテニスのことをネタにしていたのに…》
と親しい読者の方から、連絡を頂戴した。
もともと、天邪鬼のひねくれ者なので日本国民が大注目しているような話題は取り上げたくないというのが本音である。
実際、錦織選手に関しては、一般のメディアで報道されていることをご覧いただければ、不足するところはないような気がしている。
ただ、親しい読者からのリクエストにあえてお応えするなら、錦織選手はモノが違うと実感している。
趣味でテニスをやっているだけなので、細かな技術のことまではわからない。
けれども、今年の1月31日に有明コロシアムで開かれたデビスカップの日本対カナダ戦を観戦した時にその差は歴然として理解できた。
第一試合に登場した錦織選手の打つボールの次元の違いは素人目に見ても明らかだったからだ。
対戦相手や同僚の選手にしても、各国の代表で選ばれているのだから弱いわけではない。ATP(Association of Tennis Professionals)ランキングでいえば100位以内に入っている選手ばかりだ。つまりは、世界の100強にランクしている。
だが、その中にあって、錦織選手のみ異次元を奔走している感が拭えなかった。
とくにストロークのボールは、他の日本人選手、カナダ人選手と回転数や速度も含め球質自体が全く異なる。
言葉で球質を表現するのはむつかしいものだが、他の選手は、現在私が通うテニススクールのコーチが練習に練習を重ねて、最大限うまくすれば、打てるような気がする。
ところが錦織選手は、目指している山も登山ルートも違う感じがした。
モノが違うとは、そういうことだ。
どんな競技でも共通なのだろうが、天賦の才というものは明らかに存在する。
それに気付き、磨き上げるまでには大変な苦労があったことだろう。
錦織選手は、現在24歳。
これからの数年間がテニスプレーヤーとしての絶頂期であり、収穫期だ。
ぜひ、夢の4大オープン(全豪、全仏、全英、全米)どれかの制覇。あわよくば、これら4つを全部奪取するグランドスラム。または、ATPランキング1位を取ってほしいものである。
大変遅ればせながら、おめでとうございます。