イトーヨーカ堂の創業者である伊藤雅俊さんの「前始末」に感化されたためか、もともと「先憂後楽」的性格なのか、は定かではないが、私の問題対処方法は、まず歩留まりを探すことが第一となる。
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簡単に言うなら、最悪の事態を想定して、そこから少しでも改善できるようにストッパーをかけていくというものだ。
最悪を想定しているから、それ以上、悪くなることは、まずない。
至近な例で説明すると、依頼原稿の執筆が遅れている場合なら、その原稿が落ちたことを想定して、あらかじめいくつかの手を打ってしまう。
執筆者を鼓舞することで何とか間に合わせてもらうことを優先させながらも、印刷所には下版が最大でいつまで延びるかを確認するとともに、まったく別の代替原稿も用意する。
まあ、すべてがこんな具合だから、起こった問題に対して泥縄的に臨んだり、楽観的な人を見ているとイライラする。
「なんとかなるさ」、「なるようになるさ」では、問題は解決しないだろう、と。
そういえば、福島第一原子力発電所が事故を起こした際には、日本は20km、30kmと避難の輪を徐々に拡大する方法を採った。
一方、米国は、第一段階で逃避する距離を50マイル(80km)に設定して、そこから徐々に輪を狭めていく考えだった。
私は、このことを日米の文化の差であると考えていたけれども、今では個人の思考回路の違いにあると思い直すに至っている。
きっと、日本にも米国と同じ作戦を採る指揮官がいるだろうし、米国にも日本のような逃げ方をする指揮官がいると考えられるからだ。
楽観主義者で何とかなるでしょう的に解決策を模索する方が好き、という人もいるに違いないので、どちらが良い悪いという話ではないような気もするが、“神風頼り”ともいうべき対処方法は、やはり危険と隣り合わせであり、私には合わない。