バブル期に「そこまで言う。早見優」という流行語があった。
上司や先輩、友人、家族に、辛辣な言葉を言われたり、注意をされた時に、すかさず切り返す常套句として巷に定着した。
それから20余年――。この流行語が発端になっているのかどうかは、よくわからないが、その考え方は世の中に確実に浸透してしまったような気がする。
あの辺りを境に、本気で思って、叱ってくれている相手を茶化すことが当たり前になり、言っても仕方ないと、本気で意見してくれる大人が激減した。
その結果、世の中は“優しい人”だらけになってしまった。
しかし、“優しい人”の本質とは、自分が傷ついたり、嫌われたくないから、本心を言葉にして他人にぶつけないだけである。
実は、自己防衛以外の何物でもなく、“優しい人”でもなんでもない。
人は人と触れ合い、時に摩擦を起こし、分かり合い成長していくものだと教わったものだが、叱ったり叱られたり、注意したりされたりということがなくなれば、きっと人は成長しなくなってしまう――。
そんなことを考えながら、大聖寺暁仙和尚の言葉である「親父の小言」を読み直してみた。
朝機嫌よくしろ
火は粗末にするな
人には腹を立てるな
風吹きに遠出をするな
恩は遠くから返せ
年寄りはいたわれ
人には馬鹿にされていろ
子の云う事を八九きくな
年忌法事をしろ
初心は忘れるな
家業は精を出せ
借りては使うな
働いて儲けて使え
不吉は云うべからず
人には貸してやれ
難渋な人にほどこせ
女房は早くもて
義理は欠かすな
ばくちは決して打つな
大酒は飲むな
大メシは喰うな
判事はきつく断れ
自らに過信するな
貧乏は苦にするな
火事は覚悟しておけ
水は絶やさぬようにしろ
戸締まりに気を付けろ
怪我と災いは恥と思え
拾わば届け身につけるな
小商もの値切るな
何事も身分相応にしろ
産前産後大切にしろ
泣きごとは云うな
万事に気を配れ
人の苦労は助けてやれ
家内は笑ろうて暮らせ
この10数年、私自身が、こんなことを言ったり、言われたりしたことがなかったことに気づいた。