駆け出し記者に毛が生えて生意気になっていた頃――。酒席にて「ダイエーの中内功さんの商魂の源泉は何か?」と後輩に問われ、「消費者を中心に据えた流通革命実現のミッションだよ」などと偉そうに答えたことがあった。横で聞いていたある先輩は私にだけ聞こえる小さな声で、「あのね、商人が商売を大きくしようとする執念はそんなもんじゃないよ」とこそっと言った。
わかったつもりになることの愚かさ
中内さんのことはともあれ、「机上論や皮相だけでなく、欲望や妬み、利己心など人間の奥底に流れる目には見えないモノにもっと目を向けなくてはいけない」と諭されたようで大変、恥ずかしい思いをしたことを覚えている。
それ以来、人間の本当の姿とは何であるのかを見誤るまいと気を付けるようになった。
『私の履歴書』などの自叙伝にある人間像はその人のほんの一部に過ぎない。何度取材を重ねようと、懇意になろうともその人の本質には決して近づけていないことを前提に考えるようになった。
実際に自叙伝の主にお会いしたりするたびに、そこに描かれている像と現実のギャップにいい意味でも悪い意味でも驚かされることの連続だった。
よくよく考えてみれば、その先輩の年齢をはるかに超えた今でも、自分のことでさえ、よくわかっていない自分がいる。
わかったつもりになることの愚かさを戒め、その人がなぜ、その時、その考えに至り、その行動を取ったのか、まだまだ突き詰めてみたいものである。