2011年3月1日、午後2時46分――。
あれから2年である。
東日本大震災直後の日本全土は、お祭りごと自粛のような雰囲気があったが、それも遠い昔だ。東京で暮らす私の周囲には、今や震災で痛み傷ついたあの時の空気を見出すことは難しい。
しかし、現実に目を向ければ、震災からの復興は遅々として進んでいない。
多くの義捐金や寄付金が集まったはず。また政府が復興庁を新設し予算を振り分け、さらには震災復興増税がスタートしているにもかかわらずだ。
仮設住宅で暮らす人たちはまだまだ減らず、福島第一原子力発電所の周辺で暮らしていた人々は自宅に戻ることさえままならない。
悲しいことだが、関東大震災や阪神・淡路大震災同様、東日本大震災はそのエリア以外に住む以外の人たちの中では、歴史の1ページに組み込まれてしまっているようなところがある。
だからこそ大事なのは、あの日のこと、その後のこと、現在のこと、そして将来のこと――忘れないことだ。
3月11日は、それらを風化させないためのきっかけにしたい。
思い起こし、被害者の方、被災者の方を思い、何かできないかを考え、具体的に動きたい。
「天災は忘れたころにやってくる」の言葉にある通り、人間はとにかく忘れやすいものだ。放っておけば、どんなに陰惨な悲劇もどんどん忘れてしまう。
作家の故吉村昭さんが、明治29年(1896年)、昭和8年(1933年)、昭和35年(1960年:チリ地震)と繰り返し三陸を襲った津波の証言記録集『三陸海岸大津波』(文春文庫)を発刊したのは昭和45年(1970年)のことだ。
冒頭では、明治の津波の時に少年であった老人から話を聞き、「波の高さは40~50メートルだった」と推測する場面がある。
40~50メートルだ。
吉村さんは、三陸海岸を1世紀のうちに3度も襲った津波の恐ろしさを記録し、次世代に警鐘を鳴らした。
にもかかわらず、単行本上梓から半世紀後に起こった津波の際には、その警鐘はあまり役に立たず、再び多くの死者を出してしまった。
風化させないことの大切さを噛みしめたい。
地球を見渡せば、地殻プレート活動はますます活発化しているように見える。
次の地震も次の津波も、いつか確実にやってくるだろう。
そんな震災に備えて、我々は準備ができているのか、チェーンストアは準備ができているのか、今日を機会に再度チェックしておきたい。