2011年3月11日――。私は、日本コカ・コーラ社(東京都/ダニエル・H・セイヤー社長)の2階会議室で取材の最中だった。
8人でテーブルを囲んで、歓談をしながら、話をうかがっていると、突然、大きな横揺れを感じた。2日前にも、ちょっと大きな地震があったので、その続きかなくらいに構えていると、横揺れは大きくなるばかり。はじめは、8人が全員、笑いながら早く静まることを待っていたが、一向に収まる気配はない。
「結構、揺れてますね。震度3~4くらいかな」と余裕を見せていたのは、ここまで。
その後、長く大きな揺れが続き、8人は全員真顔になった。
ブラインドと壁がこすれる「カシャ、カシャ」という音が一定間隔で無慈悲に刻まれている。
揺れが収まったところで、気を取り直して取材を再開すると、また大きな揺れが…。
やがて「全員外に出るように」とアナウンスが流れ、我々はいったん外に。その後、再び入館し取材を終わらせてから、解散ということになった。
時計を覗けば16時。帰社しようにも電車は不通、電話もつながらなかったので、しかたなく徒歩で自宅を目指すことにした。
直感を頼りに、まず大きな通りを目指す。
多くのビルの前では、就業中の従業員が外に出され、ビル入り口を取り巻く格好で途方に暮れていた。マネジャーは、業務再開命令も帰宅命令も判断できなかったに違いない。
また、古いビルのいくつかはガラスが割れ、路上に落ちていた。道路での地震遭遇は、上からの落下物に要注意、とフードをかぶって、ビル側を避けて歩くようにした。。
幸いなことに私は、AMラジオファンであり、鞄の中には常に携帯ラジオが入っている。
スイッチを入れ、それを聞きながら、徐々に明らかになってくる「東北地方・太平洋沖地震」の被害状況を確認し、とにかく自宅をめがけて歩いた。
余談ではあるが、総務省は「東日本大震災の被災者の災害時における情報通信のあり方に関する調査結果」を発表している。震災発生時に役立った情報入手方法(複数回答)は、AMラジオがトップで60.1%だった。ラジオは本当に役に立つ。
それはさておき、山手通り、甲州街道と抜け、井の頭通りに入ると、興奮から覚め、落ち着きを取り戻した。
最終的に自宅に到着したのは19時前。3時間余りの徒歩旅となったが、これが非常に恵まれていることだと知ったのは、その後のTVニュースで帰宅難民について報じられてからのことだ。