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残業についてである

 残業についてである。

 かつてダイエー創業者の故中内功さんが「能力のない従業員に長時間残業されたらたまらん」という主旨のことを話していた。

 当時、いまの会社の組合員だった私は「無茶苦茶なことを言う人だなあ」と腹立たしく感じたものだが、管理職という逆の立場になってみれば、この発言の真意は痛いほどよく分かる。

 

 私たちの従事している「編集」という業務は、オンタイムとオフタイムの境目があいまいだ。

 出社して席についていても時間が有り余っていることもあるし、自宅で一生懸命、原稿を書いたり、参考資料を読んだりということもある。通勤時間中でも企画を考えることは可能だし、ぼうっとしていても何の問題のない時もある。

 また、出張は少なくないので、移動時間も多くある。

 

 こうした職種の場合、本来は、みなし労働時間制や変形労働時間制を導入すべきところなのだろう。

 ところが、労使協定の締結など、さまざまなしがらみがあり現状の制度を簡単に変更することはできない。

 

 結局は、社員一人ひとりのコモンセンス(=常識)に負うところが大きくなるわけだが、その常識の基準が社員ごとに違うのだから、事はさらに厄介だ。

 

 そして、「編集」業務のみならず、たぶんどこの経営者や管理職も、この問題には頭を悩ませているに違いない。

 

 そんなことを考えていた折に、『部下を定時に帰す「仕事術」』(佐々木常夫〈東レ経営研究所特別顧問〉著:WAVE出版刊行)を読み、著者の佐々木氏が部下に当てたというメッセージを目にして、はたと膝を打った。少し長くなるが引用したい。

 

 残業・休出問題について      佐々木

 

 弊社の一部の社員の時間外労働時間は、月40~70時間を数える。シンクタンクの仕事は長時間労働になりがちであること、また残業の効用は十分認めるとしても、以下を読んで仕事に対するスタンスを改めて欲しい。



1.労働基準法36条に規定されているいわゆる36協定で、残業は月45時間を越えてはならない。それを越えるにはそれ相応の理由と手続きがいる。再建会社でもない現在の当社にはそれほど長時間残業をしなくてはならない事情はない。労働に対する世の基準(法の順守)に逆らう常識の欠如を感じる。



2.仕事はコストと成果のバランスが常に求められる。生ずる成果に比べ多くのコストを投入する採算意識、バランス感覚の欠如を感じる。



3.会社はプロの社員を求めているが、プロとは限られた時間の中で、いかに効率良く成果を出すかである。そのために事前の周到に考え抜かれた作業プログラムと最短コースで仕事を完遂させる能力が、日々試されている。成り行きにまかせ、ただやみくもに時間をかけるのはプロのやることではない。



4.多くの残業を続ける結果、自分の健康を損ねたり、大切な家族とのコミュニケーション不足というマイナスが生ずるリスクを考えないことに想像力の欠如を感じる。



5.また、仕事以外の活動が、その人の人格形成に役立ち、幅広い仕事に繋がるはずなのに、そのことに目を向けない向上心の欠落も見られる。



6.自分で時間外の時間を記入し、上司に申請するということは、自らの所定の時間内では仕事ができないということを毎月表明していることであり、そこに羞恥心の欠如をみる。



7.そのような部下を目の前にしながら、注意もせず、仕事の指導もせず、相談にも乗らない管理職に、責任意識の希薄さを感ずる。また同じ会社の中で同じグループの中で残業の多い人と、ほとんどない人が存在するのは仕事の配分が間違っており、マネジメント不足である。

 

 まさに、我が意を得たり、の境地。あとは、このことを社員が分かってくれる常識があるかということになる。