過日、東京都港区のサントリーホールで開かれたバッハのパイプオルガンコンサートを聴きに行った。
多くのカンタータやソナタ、協奏曲、組曲などの管弦楽曲を世に送り出し、古典派音楽の礎を築いたバッハは、その初期、ドイツはワイマール、ケーテン、ライプチヒなどの町で教会のオルガン奏者や宮廷楽長などに任ぜられた経歴を持つ。その意味では、バッハ創作の原点に触れるようなコンサートだった。
約2時間の小旅行は、日ごろの俗世界とのつながりを忘れさせ、コンサート終了時には、厄払いを受けた後にも似た神聖な気分に包まれた。
楽曲の素晴らしさはもちろんだが、驚かされたのはパイプオルガン奏者の演奏そのものにある。五体六感を駆使することにより、描き出される音色はとても独りの演奏者から生まれているようにはキコエズ、ある時は重厚にある時は軽快な色を交錯させながら、聞く者の胸に深く染み入る。
コンサートも終盤に差し掛かると、パイプオルガンは、さながらひとつのオーケストラと化し、目を閉じれば、何人もの奏者の幻影が舞台に現れるようになる。荘厳で豊饒なる音色を弾き出す舞台を自分の席から一瞥すれば、一挙手一投足に全霊を込めながら、一台のパイプオルガンと必死に格闘する奏者の美しい姿があった。
華麗に泳ぐ水鳥が水面下では水かきを懸命にばたつかせる。夕鶴の主人公つうが身を削りながら機を織る。そんな姿があった。