春の大嵐が日本全土に吹き荒れた昨21日は「春分の日」――。
10年くらい前から、「春分の日」には、どんなに忙しくても丸1日をかけて、墓参りに行くようにしている。
「『彼岸』とは仏教用語で向こう岸という意味で、一切の悩みを捨て去って悟りの境地に達することをいいます。ちなみに生死の苦しみに迷う現生が『此岸』です。この仏教思想に、日本古来の祖先信仰が合わさって、お彼岸行事が生まれました」(『日本人のしきたり』/青春出版社:飯倉晴武編著)。
決して信心深いとは言えない私がせっせと墓参りに精を出すのには理由がある。
生きている家族に向けての意思表示である。
亡父はそろそろ13回忌、母は健在という私にとって、「春分の日」「秋分の日」の墓参りは母や家族に向けてメッセージを送る意味合いがある。
「たとえ、あなたがたの誰が先にお墓に入ったとしても、年に2回はちゃんと行きますよ。この世で受けている恩は絶対に忘れませんから安心してくださいね」。
黄泉の国に旅立ってしまった者は、誰が墓参りに来ようが来まいがもはや分からないし、実際に関係ない。また、祖先を思うだけの墓参りならば、3年に1度くらいのペースでいいのかもしれない。
けれども、生きている者に向けて思いを告げるための行事と位置付ければ、年に2回の墓参りは大いに意味があると考えている。
そして、こうした類の行事が日本には結構多いような気がする。