日本の都市は、健常者を中心につくられており、身体にハンディキャップを持った人のことを顧みていない向きがある。
たとえば、満員電車だ。たかが足を痛めているくらいで、満員電車に乗ることは嘘のような苦痛になる。右に左に振られる身体を維持するためには、健全で屈強な足腰や手腕が必要最低条件になっているからだ。
仮にこれに乗ることが企業就職のパスポートだとするならば、身体に故障を抱えた時点で「不適」の烙印を押されてしまう。
苦痛を乗り越え、なんとかたどり着いた乗り換え駅も殺伐としている。人の波に乗れない者はここを通る資格はないといわんばかりに、津波のような人波が前から後ろから次々と襲いかかる。
小売業の店舗などは、1994年のハートビル法(高齢者、障害者が円滑利用できる特定建築物促進法)の施行にともない、認定施設を増やしている。
また、2006年のバリアフリー新法(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律)によって、通路幅を広くとり、段差をなくしてスロープをつけたり、車いす用トイレを設置するなど、ユニバーサルデザインのさらなる改善が図られている。
ただ、それでも現状は、「いまよりも施設利用をしやすくする」の意味合いであり、ハンデのある人と同じ立場で対等に共生できるという話ではない。
もちろん、かつてよりも進歩のあることは大事なのだが、施設のひとつひとつを、つくった側の自己満足になっていないか、認定されることを目的にしていないか、もう一度、ハンデを抱えた人の視点でチェックしてみる必要はある。