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「なりたい」と「なったら」

 約40年にわたって永田町を観察してきた政治アナリスト(評論家)の伊藤惇夫さんは、日本の歴代総理大臣を2種類に分類している。

 「なりたい総理」と「なったら総理」だ。

 

 「なりたい総理」は、総理大臣になることが目的の政治家。〈すごろく〉で言えば、総理大臣になって「上がり」だ。総理の座が目的だから、就任後の政策は考えておらず、リーダーシップなど発揮できるはずもない。

 いまの菅直人総理を始め、結構多くの歴代総理大臣が名を連ねている。

 

 これに対して「なったら総理」は、総理大臣に就任するまでの雌伏の期間中に「もしも総理になったらば、あれもこれもしよう」と事前に政策を用意している総理大臣のこと。典型例は中曽根康弘元首相である。

 “戦後政治の総決算”を掲げ、教育基本法や“戦後歴史教育”の見直し、靖国神社公式参拝、防衛費1%枠撤廃、国鉄民営化など、「なったら」しようと考えていたことを就任後には次々と実行していった。

 

 政策の善し悪しは別として、どちらの方がリーダーに向いているかは、一目瞭然であろう。

 

 創業経営者からバトンを引き継ぐサラリーマン社長が続々と誕生している流通業界でも同じような傾向がある。

 そう。「なりたい社長」と「なったら社長」である。

 就任当初は、どちらなのかは分からないものだが、半年間もすると、この人とかあの人のように馬脚を現してしまう。

 

 そうして「なりたい社長」の会社は、凋落の一途を辿っていくことになる。