いまの子どもたちは、縁起を担いだりするのだろうか?
我々が受験生だった頃は、「すべる」「落ちる」といった不合格を匂わす言葉は、試験直前には極力、使わないようにしたものだし、周囲もそれなりに気を遣ってくれた。
まあ、現在も、「キットカット」(きっと、勝つ:ネスレ日本)や「ウ カール」(受かる:明治製菓)、「受験に勝ちの種」(柿の種:亀田製菓)、「う カルピスキャンディ」(受かるピス:カンロ)などのお菓子が受験生の応援をしていることからも分かるように、言葉で縁起を担ぐという文化は死んではいないのだろう。
以前にも、このブログに書いたことがあるが、日本人は、ことのほか、言葉に宿る力を大事にする。
言霊とは、言ったことがその通りになるという不思議な霊威だ。
だから、景気の良い話はたくさんする一方で、自分にマイナスになるような言葉は避ける。
その結果、マスコミ報道も含めて、期待を現実として語ってしまうケースが少なくないように思える。
「浅田真央 バンクーバー五輪 金メダル」「岡田ジャパン 南アフリカ ベスト4」などととくに、国際的スポーツの祭典では、期待と現実が混同されている。
仕方ないのかもしれないけれども、実力以上の誇大報道によって、我々には実力以上の期待が醸成され、がっかりが繰り返される。
ただ、それも言霊のせいと考えれば、諦めもつくというものだ。