12月5日未明にロシア中部の都市ペルミのナイトクラブで爆発、火災が発生した。死者は103人に上り、近年のロシアでは最悪の事態となった。
もし、日本で100人超の死者を出すような大惨事が起これば、新聞やテレビ、ラジオ、雑誌、インターネットメディアでも、特大級の扱いになるに違いない。
けれども、12月7日の朝刊では、ほとんどがゴミ記事扱いであり、大惨事は、遠いロシアの出来事と流されてしまった。このブログの読者にもご存じのない方はいらっしゃるのではないだろうか。
2004年に起こった「スマトラ沖地震」時も同じだった。マグニチュード9.3の大地震は、大津波を発生させ、インドネシアだけでなく、インド洋沿岸のインド、スリランカ、タイ、マレーシア、東アフリカ等でも被害が発生。死者数約22万7000人にも上る悲劇となった。日本のメディアは、第一報こそトップ扱いだったものの、翌日以降の続報は、小さなものになっていった。
また、海外で飛行機事故などが発生すると、必ず、日本人客の有無が報道されるが、これとて、日本人の安否を外人よりも優先させているような印象を受ける。
日本のメディアの受け手は日本人であるから致し方ない側面はある。実際に、海外の惨事の情報を流し続けても部数や視聴率、聴取率、ページビューには結びつかないだろう。
しかしながら、こうした邦人優先の報道は、受け手に誤った価値観を植え付ける可能性がある。日本人の生命は外国人よりも尊いと誤解する受け手が出てこないとは言い切れないからだ。
人間の生命は、1人1人、平等なはずなのだが、メディアを通しての報道上はそうなっていない。
海外で惨事が起こるたびに、人間の生命をもっと平等に扱う報道はできないものかと考える。
でも、現実はそうなっていない。
だからこそ、11月12日のブログでも書いたように、取扱い分量に惑わされることなく、ニュースの重要性を自分で決められる感覚や価値観を持ちたい。