活字との格闘を生業にしている身であるにもかかわらず、最近は、書き取りが苦手になった。
原稿をはじめ、ほとんどの文章執筆は、パソコンのキーボードを叩いて作成していることが一番大きな理由だ。取材時や校正時には、手書きもするが、画数の多い漢字はカタカナで記してしまうし、難しい文字はパソコン上に打ち出した文字を写し書きしている。
学生時代はすぐに書くことができた「魑魅魍魎」(ちみもうりょう)や「範疇」(はんちゅう)、「薔薇」(ばら)、「躊躇」(ちゅうちょ)などという文字は、いまや何かを見なければ分からない。
女優の故夏目雅子さんが、作家で夫になる伊集院静さんに心を寄せた理由は、「薔薇と言う文字がそらですらすら書けたから」と振り返っていた。
こんな体たらくでは、女性にももてなくなるわけだ。
これに対して、一般のサラリーマンの方や学生たちの書き取り能力はどうなのだろうか?
ブログなどを日常的に書いている方なら、能力劣化はないかもしれない。また、日本漢字能力検定の2008年度の受検者数は280万人を突破しており、あの問題発覚後も大変な人気を保っている。パソコン普及後も、書き取り能力が上がっている人たちは確実に存在するのだろう。
しかし、若い子たちがケータイで文字を書く場合は少し異なる。パソコンのように用途に応じて、出てくる文字を勧めてくれるわけでもなく、間違いは間違いのまま訂正されることなく流されてしまうからだ。
たとえば、“チェンジ”を意味する「カエる」という言葉をひとつ取ると、「変える」「替える」「代える」などの文字があり、用途はちょっとずつ違う。パソコンソフトの「ワード」の場合、「カエル」と打った時点でその違いを説明する窓が出てきて正解を教えてくれる。
しかしながら、ケータイの場合は、このワンクッションがない。
つまり、書いた者が正解か不正解か分からないままに、ただ音だけが文字化されるようになってしまうわけだ。
こんなことが続けば、漢字はなくなり、カタカナ・ひらがな以外の文字は死んでしまうだろう。使い手が書き分けられないのだから、文字だけが残るはずがない。