メニュー

愚痴話なので、ここはクリックしないでください

 断れない事情があり、ある大学で講義を担当することになった。受講者がサラリーマンの講演は2か月に一度くらいのペースで受けており、そんなに嫌いなわけではない。

 以下は、1コマ90分の顛末記――。

 

 講義開始のチャイムが鳴り終わってから、収容人員100人ほどの教室に三々五々、バラバラと学生が集まってくる。私の正面のブロックに陣を取る者は1人もいなかったが、これは私の時代も同じ。学生はシャイなものだ。名門校だけに前衛的な格好をしている者もおらず、なかなかの好印象――。

 <うん、うん、キャンパスライフっていいよなあ>

 

 しかし、講義がスタートしても、出入りは続き、話す側をなかなか落ち着かせてくれない。人の出入りがひと段落着くまでに15分ほどを要する。

 <さあ、これからだ!>

 

 ふと、見渡すと、教室で堂々の「i-mode」だ。女子たちの私語は尽きない。さらには、トイレなどに立つ者もパラパラおり、学生の出入りは激しく、講師はずっと集中できない環境を強いられる。

 <ちょっと、ちょっと。罪悪感はないのかね。そこの立ってるヤツ!お前は浮遊児童か!トイレは授業前に行っておけ!>

 

 プロの教授は、こんな逆境を簡単に乗り切る術を知っているのだろうが、こちらは喋りも教えるのも素人だ。

 <なかなかエンジンがかからないなあ>

 

 「おい! そこのi-mode、出て行け!」

 と怒鳴ろうかどうかためらったけれども、たった1回、1コマのスポット講義なので、この場は我慢だ、と思い直す。いまの立場は“行きずり”であり、学生の今後に対して責任を持てるわけではないので、とにかく、粛々と講義を進めるしかない。

 <何を弱気になってるんだ!>

 

 まあ、講義内容にも問題があり、学生たちも退屈だったのだろう。作家の村上春樹さんや楽天名誉監督の野村克也さんの講演ならこんな状況にはならなかったかもしれない。だけど、よく考えれば、そんな著名なスピーカーばかりがいつも講義するわけじゃない。これが通常の姿なのだろう。

 <学生諸君! 演者は観客の態度や反応でパフォーマンスが上がったり下がったりするんだよ。覚えておきたまえ>

 

 こんな状態が恒常化すれば、講師も学生も負のスパイラルに陥り、結果として両者ともに不幸になってしまう。その原因がダメな講義によるものなのか、「ゆとり教育」に甘やかされたことにあるのか、その両方なのか、知りたかったけれども、今日1日では判断できるものではない。

 

 事前の打ち合わせ通り、5分の質疑応答時間を残して、やっとこさゴールにたどり着いた。

 最後に、「質問は?」と聞いたが、当然のことながら、手が挙がることはなかった。

 

 しかし、講義終了後に、2人の学生が質問をしに私のところに近寄ってきたのでちょっとだけ、救われた気がした。

 <ああ、疲れた!>

 

※聞いた話によれば、最近、評論家や作家たちは、学生の態度の悪さを敬遠し、こうした講義、講演の要請を受けないことが多いという。