約30年前に遡って、歴代の内閣総理大臣を振り返ってみると、中曾根康弘、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一、細川護熙、羽田孜、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫と16人の懐かしい、新しい名前が並ぶ。
なんと、平均すればわずか2年弱で1人が代わっていることになる。
マスコミが実施する内閣支持率調査では、発足時点においては、ご祝儀相場もあり、大抵の場合、高い支持率になる。しかし鳩山内閣に象徴されるように、その後、3ヶ月、半年、1年と経過するうちに徐々に、あるいは、急激に落ちていく。
失策や失言があったときは、当然のこと。大きな失策がなく、普通に機能しているように見えても、「決断力に欠ける」「リーダーシップ不足」「優柔不断」などという言葉で非難されてしまう。過去30年間は、ほぼその繰り返しだった。
まあ、総理大臣は、われわれ国民の代表中の代表であるから、仕方ないのかも知れない。また、ジャーナリズムには批判精神が不可欠なものなのかも知れない。
だが、われが人だとするならば、彼もまた人なり。完璧な人間がいないように、非の打ちどころのないリーダーもまたいないものである。
総理大臣が誰になっても、政治は変わらない、と言われて久しい。
だからだろうか。どんな人間が総理の座に就いても、必ず批判の的にされるようになるけれども、総理大臣が誰になっても批判しかしない風潮もまた考えものである。