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「またそのさま」としての謙虚

 故(11代)二子山親方(元大関:貴ノ花利彰さん)時代の二子山部屋は、全盛期には幕内力士10人、総勢50人を超える一大勢力を誇っていた。

 親方は、部屋の絶頂期に弟子たちに「謙虚であれ」とよくよく言い聞かせていたのを覚えている。

 

 きっと、親方の言葉を意識していたのだろう。メディアを通じて紹介される現役時代の(11代)二子山部屋の力士たちは、生意気な言葉のひとつを放つわけでもなく、とにかく頭を下げてばかりいたような気がする。

 しかしそのさまは「面従腹背」「慇懃無礼」のように見え、何か不自然で合点のいかないところが多くあった。

 

 さて、このBLOGを書くにあたって、改めて、辞書をひも解いてみると、謙虚とは、「①控えめで、つつましいこと。②素直に相手の意見などを受け入れること。③またそのさま」とある。

 本日のたいへんな発見は、「③またそのさま」である。

 つまり、「謙虚なさま」は謙虚を指すのである。

 この辞書によれば、ただただ頭を下げながら、心の中では「ベッ」と舌を出していることも謙虚なのである。

 

 案の定、晩年の(11代)二子山部屋は、地位も権威も名誉も、地に堕ちた。

 2人の実子たちの相克や親方になってから博打で角界を追われる者、「①控えめで、つつましいこと」「②素直に相手の意見などを受け入れること」を守っていれば、とても出てきそうもないような者たちが続々と現れた。

 結局、この部屋の力士たちの謙虚とは、「③またそのさま」としての謙虚でしかなかったのだろう。

 

 歌舞伎役者の市川海老蔵さんのように素晴らしい才能があっても、それを鼻にかけ、傲岸不遜な態度をとるのも問題だが、「③またそのさま」の謙虚というのもどうかと思う。