ホームセンター業界の最大手DCMホールディングス(東京都/久田宗弘社長)の代表取締役相談役でホーマック(北海道/柴田憲次社長)の取締役会長である石黒靖尋さんが1月13日、多臓器不全のため死去した。享年74歳。
1936年、北海道釧路市生まれ。59年、明治大学商学部を卒業後、父が設立した石黒商店に入社。68年に社長就任。北海道拓殖銀行の主催するアメリカ小売業視察ツアーでの見聞をもとに、76年、ホームセンターの石黒ホーマ1号店を釧路市に開業する。
以後、釧路市を拠点に北海道内に強固な店舗網を築いた。ホーマックの09年度の売上高は1744億円(165店舗)、北海道内のホーマックのシェアは7 割を超えるものとみられる。
合従連衡に長けた人だった。
87年、ジュンテンドー(島根県/飯塚正社長)、ケーヨー(千葉県/醍醐茂夫社長)、カーマ(愛知県/豊田芳行社長)、コメリ(新潟県/捧雄一郎社長)、サンデー(青森県/宮下直行社長)との勉強会である六社会に加盟する。
92年には、石黒ホーマ、ジャスコ、ケーヨーと業務・資本提携し、ジャスコとの合弁企業イシグロジャスコ(秋田県)を設立した。
その後、95年、石黒ホーマはメイク(岩手県)とイシグロジャスコを合併し、商号をホーマックとして、本社を札幌市に移転する。
99年にホーマックの社長を前田勝敏(前社長)さんに譲ってからは、決算発表会やメディアなどの表舞台に姿を現すことは極端に減ったが、06年、ホーマック、カーマ、ダイキ(愛媛県/佐藤一郎社長)の東証一部上場企業3社が経営統合して持ち株会社DCM Japanホールディングス(現DCMホールディングス)を設立するに当たっても尽力した。
11年1月11日に、長男の石黒靖規さんの社長就任を発表(11年3月1日付)。同時に石黒靖尋さんが取締役相談役に就任する人事を発表しており、「石黒家」への大政奉還を見届けた。
日本最大のホームセンター企業の創業者の1人として、その名は業界内外に長く刻まれることになるだろう。合掌。