一昨日は、「英国人女性遺棄事件の市橋容疑者が大阪で逮捕」「俳優の森繁久弥さん、96歳で死去」「奈良県で卑弥呼の宮殿とみられる大型建物跡出土」など、立て続けに大きなニュースが飛び込んできた。テレビでは1つ2つのニュースを特集的に取り上げ、時間枠をいっぱいに使って流し続けていた。
同日のニュースには、「政府が日本航空の経営再建支援策を発表」「韓国・北朝鮮海軍、黄海で交戦」「篠山紀信事務所が公然わいせつ容疑で捜索」「脳科学者の茂木健一郎氏が4億円の申告漏れ」など、それほど大きくは扱われないものの、先のビッグニュースがない日であれば、トップの候補になるようなものがたくさんあった。
このブログ読者の皆さんは、薄々お感じのことと思うが、テレビが放映する時間の長さや新聞が紙面に割く面積の大きさとニュースの重要度は直結しているわけではない。
ところが、世間のニュースバリューは、報道する側の扱いの強弱で決まってしまっているようなところがある。
受け手である視聴者や読者にとってのニュースバリューは、伝え手の思惑とは関係がないことが多いものだ。
だからこそ、大きなニュースがあった日ほど、取り扱い分量に惑わされることなく、小さな扱いのゴミ記事にも注意を払いたい。
もっというなら、ニュースバリューを自分の感覚で決められる意識や価値観を持ちたいところだ。