2010年3月23日のブログも合わせてお読みください。
自分以外の方の原稿をチェックすることを生業としている身になれば、どんな文章にも興味は尽きない。そこに何が書いてあるのかは心底理解したいし、知らない世界のことを知りたいと思うのはもはや習性と言っていい。
ところが過日いただいた、日本屈指の有名大学の学術論文集は実にひどいものだった。
日本語が書いてあるのだが、何度読んでも、意味を理解できない。しかも、参考文献からの引用が多すぎる。他人の調査や考え方をつぎはぎして論旨をまとめようとする印象はぬぐえなかった。
以前、ある大学の教授に聞いた話によれば、学術論文の書き方にはコツがあるという。
「デアル体の文語体で漢字を多用して、口語表現は避けるんです。雑誌のように読みやすい文章だと『品格がない』と言われて担当教授はなかなか通してくれませんから」。
ということで、小宇宙でしか通用しない符号のような文章を紡ぎだすことで、この排他的なサークルの権威が保たれる。そのルールに沿わない人は、やがて学界から弾き出されていくのだろう。
欧米の学界ではどうなっているのだろうと疑問を抱きたくなるところだが、日本の、とくに文系の学界は、馬鹿な学者の養成機関のような役割を果たしているような気がする。
そんな学界に籍を置く意味など研究上はないのだろうが、多くの学者の先生たちは、学界に在籍することで得ることができる権威をかざして、内外でちやほやされることがよほど御好きらしい。