セブン&アイ・ホールディングス(東京都/井阪隆一社長)の創業者である伊藤雅俊さんの名言のひとつに「前始末」がある。事前準備と段取りを徹底することを意味している。今回はこの極意について話をしたい。
失敗のあと始末、失敗しないための前始末
「失敗のあと始末とは別に、失敗しないための前始末というのも大事ではないかと思います。失敗を極度に恐れる必要はありませんが、失敗せずにことが運ぶにこしたことはないからです」(『商いの心くばり』:講談社刊)。
「前始末」の重要さを新人時代から徹底的に教育して身につけさせていくのが「“皿洗い”から始める」という言葉が存在する料理人の世界だろう。
自動食洗機が普及した今の世の中にあっても、“皿洗い”とは料理人にとって実に大事な修行だ。洗う順番を間違えると大変なことになってしまうからだ。
食事から発生する洗い物とは実にさまざまで、例えば、食器類でいえば、水をいれたグラスはほとんど汚れていないし、赤ワインを注いだワイングラス、漆塗りのお椀があるかもしれないし、サラダを盛り付けただけの皿とハンバーグのデミグラスソースがこびりついた皿もある。さらには、フライパンや鍋などの調理器具…、箸、シルバー類もある。
フライパンとワイングラスを一緒に洗えば、ワイングラスが割れてしまう可能性が高くなるし、グラスと油のついた皿を同じにすれば、そんなに汚れていないグラスに油が付着し、洗い物は二度手間になってしまう。
料理人のタマゴたちは、そんな試行錯誤を繰り返すことで、グラス、木製食器、油が付着していないもの、油もの、といった感じで洗い物をこなすプランを経験的に身につけていく。
そして、このプランを進めるために、事前に洗い物を整理し、並べる必要があることに気づく。たかが、“皿洗い”というなかれ、頭を使えば、効率的に綺麗になる方法を編み出せるわけだ。
その一連の流れが段取りであり、伊藤さんの言うところの「前始末」だ。
「料理は段取りで決まる」という言葉もあり、熱いものを熱いうちに、冷たいものを冷たいうちに、出さねばならない料理人にとって段取りとは「いろはのい」。つまり、“皿洗い”から始めるというのは、実に実践的な修行方法なのである。
ささやかながら私も「冷蔵庫理論」と称して、編集長の時代には、「前始末」の徹底を推奨してきた。
帰宅後に冷えたおいしいビールが飲みたければ、出勤前に冷蔵庫に入れればいい、という単純なものだ。
出勤前に冷蔵庫にビールを入れることは、短時間で完了する、とても簡単な作業であるのだが、たったこれだけを事前にするしないで帰宅後の生活満足はまったく異なる。
同じように、企画、執筆依頼、アポ取り、取材、執筆…すべて計画的に前倒しでこなせば、締め切り前にあたふたすることはないし、ミスも防げる、事態の急変にも対応できる、などいいことづくめだ。
流通業界に広がる前始末商法とは
最近は、流通業界にも「前始末」的な商法が定着してきた。
「予約販売」である。
「ボジョレーヌーボー」「クリスマスケーキ」「おせち料理」「年賀状印刷」「恵方巻き」…。
特に季節イベントの商材は、販売面で競合他社に先行できるだけでなく、閑散期の工場を利用することでコストを減らし、需要予測の精度アップで廃棄削減にもつながるなど相当なメリットがある。
伊藤さんは、前著にて「お客さま一人一人に対する心くばりは、なににも増して重要な前始末ではないでしょうか。これなくしては、商売は成り立たないとさえ思います」と結んでいる。