落語家・立川志ら乃のスーパーマーケット徒然草 第11回 コロナショック下の買物についてちょっと真面目に考えてみた

立川志ら乃(落語家)
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まず、すべてのスーパーマーケットに関わる皆さま!ありがとうございます!!そして、新型コロナウイルスという見えない敵との戦いが続くなか、われわれ消費者は日々の買物について再考しなければならないのではないでしょうか。今回はちょっと真面目に、スーパーマーケットとの”付き合い方”について私なりに考えてみたのです。

  一通のメールでコロナへの認識が大きく変わった

 おそらく3月頭の時点では多くの人が、新型コロナウイルスに対して

 「別に大丈夫だろ…大げさな」

  みたいに考えていたのではないでしょうか。私もそうです。しかし、地方興行などを行うにあたり、共演者への心配の声をメールでいただいいた瞬間から気持ちが変わりました。

 その落語会は私の自主興行なので、私に決定権があります。立川流は会社組織ではないので、いつもは皆でなんとなく諸々を決めてはいるのですが、そのすべてにおいて誰が責任を取るのか? ということになれば、私なのです。

  そんな当たり前のことを、明確に突き付けられ、強く再認識しました。まずは現在の状況確認を的確にしないといけません。日頃からテレビのワイドショー的なものはまったく見ないのですが、情報番組の「トピックス」だけちら見し、本当にそうか?」「それを見た人がどう動くか?」「それを踏まえたうえで私自身、周りの人とどう過ごすか?」を考え始めました。

  今回はそのように考えを巡らした中で、スーパーでの買物に関するものを書いていきたいと思います。

なくても死にはしない!落ち着け!~トイレットペーパー不足についての考察~

 私の場合、たまたまコロナ騒動が深刻化する前に、期限切れ寸前だった近所のドラッグストアのクーポンを使って、トイレットペーパーをたくさん購入していたためとくに慌てることはなかったのですが、もしトイレットペーパーがなくなった場合について考えました。

  「人類の歴史において、尻を紙以外のもので拭いていた時間の方が長いのではないか?」

 「トイレットペーパーがなくてもすぐに死ぬようなことはないし、便器をつまらせない代わりの何かを見つければ済むのでは?」

 「地方のスーパーでは普通に売っていたのを見ていたので、いざとなれば買いには行ける」※県をまたいでの移動自粛が要請される前の話です

  こんな思考を持つことで、トイレットペーパーに人々が群がったり行列をなしたりする映像を目にしても、慌てることなく落ち着いて、「たまたまトイレットペーパーが売っていたら買おう」 というスタンスを保ち続けることができました。

  そして実際には、自宅近くの「オーケー」では朝並ばないと買えない状況の時でも、少し離れた場所にある別のオーケーや「ライフ」の店舗では閉店間際でもトイレットペーパーを売っていることが判明。もちろん地域によるのでしょうが、並ばないと買えないという報道は一体なんなんだろうと思うほど普通に買うことができました。

  しかし、家にまだたくさんのトイレットペーパーがある状態でも、日ごろからテレビをよく見ているカミさんは「どこにも売ってなかった!!」 と慌てふためく。私がいくら思考を巡らせても、ちょっとしたテレビの情報がいろんなものに混乱をきたすのだなと、無力感を覚えました。

 そもそも、コロナに関係なく、どんな商品でも品切れになることはあります。しかし、「欲しい!」と思った時にその商品がないと、「なぜないんだ!!」という思いが強くなる。その時に「本当に絶対に必要か?」と冷静に考える余裕はなくなり、その物を手にすることでのみ、安心感を得られるというある種の”熱狂状態”に陥りがち。

 東京都からは 「買物は3日に1回」という、私からすれば「それ割とハイペースじゃね…?」というスローガン的なものも発令されましたが、これが危ない。この要請、「買物に出かける時=必要なものを買いたい時」にしてくれというお願いなのですが、上記のように「欲しい」という気持ちが強い状態で、多くの人がスーパーに訪れる状態が一番怖いのです。具体的な頻度を掲げるのではなく、「買物は気持ちと時間に余裕のある時に」という旨のスローガンが必要だと思いました。

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