今回は、大阪で初めて洋食を出した店で食事をするお話だ。お目当てはカレー。かつて、あの作家もよく訪れ食べていたというエピソードが残っている。話には聞いていたが訪れるのは今回が初めて。さてどんな店、料理なのか。早速、行ってみる。

大阪初の西洋料理店
ミナミは大阪府を代表する繁華街である。「かに道楽」「グリコ」の看板はじめ「大阪といえば」で連想される刺激的でユニークな風景があちこちで見られ、観光客にも人気が高い。同じ関西なのに、私が住む京都とはまったく違うことを興味深く感じる。
今回、向かうのはそのミナミの難波エリアにある「自由軒」というレストラン。創業は1910年(明治43年)で、公式Webサイトには「大阪初の西洋料理店としてオープン」と書かれている。どれほど古いのかを実感するため調べると、同年6月には東京の「有楽町」駅が開業している。やはりかなりの歴史だ。
同店は作家の織田作之助が通った店としても知られている。周辺は当時から賑わっていたようで、織田の代表作「夫婦善哉」と同名の“ぜんざい”を出す老舗の甘味処が、北へ150mほどの場所で今も営業を続けているのを知った。
あれこれ調べていると俄然、行ってみたいという気持ちが強まってきた。そんな折、ちょうど大阪に行く用ができ、行ってみることにした。
降り立ったのは大阪メトロ「なんば」駅。11番出入口からすぐ見える「難波センター街商店街」の入口から東に向け歩き始めた。大阪は「くいだおれ」の街と言われるだけあり、有名な飲食店が並んでいる。
しばらくすると右手にお好み焼きの名店「ぼてじゅう」、少し進むと左手に「豚まん」で有名な「551蓬莱」が見えてきた。いずれも本店で、関西人ならいかにここが“熱い”商店街であるかがわかるはずだ。
そしていよいよ今回の目的地「自由軒 難波本店」の前に到着する。見上げると看板には店名とともに「名物カレー」の文字が添えられている。まさに織田作之助が愛したメニューこそカレーなのだ。
店の前には、各種料理の食品サンプルが並ぶやや古めかしいショーケース。また入口横には、自由軒の名物女将を模した等身大の看板が立っている。主張の強さに、いかにも大阪の店という感じがする。
私は高まる心を抑え、伝統の暖簾をくぐった。
串カツ、ビール、カレーでフィニッシュ!
時間は午前11時40分だったが、さすが人気店、ほぼ満員である。しかしラッキーにも席を立つお客と入れ替わりですぐに座ることができた。
早速メニューに目を通す。悩んだ挙句、まずは「串かつ(牛肉)」を食べながらビール、そして「名物カレー」でフィニッシュするストーリーが浮かんだ。機敏に動く女性店員を呼び止め、注文を伝えた。
料理が来る間、店内を観察する。来店客は多様で、女性の1人客のほか会社員らしき男性、またアジアからの観光客も一定数見られた。大半がカレーを注文している点で共通しており、皆さん黙々と食べている。
目を引いたのは奥の壁に掲げてある額縁に入った写真だ。織田作之助がペンを持ち、頭を抱え悩みながら執筆している。そこに黄色の文字で「自由軒本店」「織田作文学発祥の店」と書かれている。
さらに「トラは死んで皮をのこす」「織田作死んでカレーライスをのこす」ともある。これは岐阜県で演説中の板垣退助が暴漢に刺された際、発言した「板垣死すとも自由は死せず」に由来すると思われる。当時、自由という言葉が流行っており、また創業者の出身地は岐阜県。これらを背景に、屋号、さらに額縁のキャッチコピーができたと推測できる。
そうこうしている間に串かつとビールが私の目の前に届けられた。テーブルにある特性ソースをかけ、いただく。うん、おいしい。
そしてしばらくして主役のカレーがやってきた。最初からライスとカレーが混ぜてあり、凹んだ部分に生卵が乗せてある。
最初は、スプーンでカレーだけすくって口へ。想像していたよりスパイシーだ。その後、卵を割って“味変”すると、とてもマイルドになった。これもいい。半分ぐらいになったところでソースをかけると、味に深みが増した。ひとつの皿に盛ってあるカレーだが、いくつもの味のワールドが広がりを感じられるのが楽しい。飲食店の激戦地、大阪で長く愛されている理由がわかったような気がした。
すべてをいただき、もう満腹である。入口の方に目をやると、行列ができている。私は満足な気持ちで、店を後にした。