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豊臣秀吉ゆかりの滋賀・長浜で楽しむ絶品 郷土料理「鯖そうめん」とは

滋賀県北部の長浜市は、歴史の魅力が詰まった街だ。豊臣秀吉が城を築き、城下町として栄えたほか、かつて北陸と京阪神を結ぶ街道には武士、商人、旅人らが往来し賑わった。今回は、かつての様子を想像しながら散策するほか、地元の郷土料理「鯖そうめん」を食べるという話である。

滋賀県長浜市の郷土料理「鯖そうめん」

レトロな駅舎、駅前には二体の像

 スタート地点はJR西日本北陸本線の「長浜」駅である。現在の駅舎は2006年に建てられた比較的新しい施設。しかし、そのデザインは1882年(明治15年)に開業した初代駅舎がモチーフになっている。なるほど、どことなくレトロな風貌がいい感じだ。

JR長浜駅の駅舎。レトロな風貌がいい感じだ

 バスロータリーがある駅東口を出て北へ進むと、二体の像が見えた。近づくと「秀吉公と石田三成公 出会いの像」と記されている。

 長浜は豊臣秀吉が初めて城持ち大名となった地。一方、有力な武将が活躍したことでも知られる。その一人である石田三成との出会いの場面を再現しているというのは感動的である。

秀吉公と石田三成公 出会いの像

 像の北側を通る県道2号大津能登川長浜線を東に向いて歩く。新しめの商業施設も年季が入った洋館を思わせる外観のデザインを採用。駅前の好立地だからといって無秩序に建物をつくるのではなく、街の歩みを尊重しているところに好感が持てる。

 よく見ると、あちらこちらに石碑を発見できる。「長浜城外堀跡」の前に立ち止まり、「こんなところに外堀があったのか」と驚く。街の歴史をじっくり味わいながらの散策は楽しい。

歴史ある街だけに、あちらこちらに石碑がある。写真は「長浜城外堀跡」

 実は昔、私が会社員だった頃、滋賀県を担当していたことがある。社用車に乗って県内各地を走り回る中、記憶に残っているのが長浜市だった。交通量の多い国道を走行するだけでも、時々、古い街並みが視界に入ってきて興味を持った。

 休憩がてら住宅が集積するエリアに入ってみると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような風景が広がっていた。独特の雰囲気が印象的で、強烈に引き込まれたのを思い出す。

 話を長浜駅周辺に戻す。先ほどの県道2号線をしばらく行き、滋賀銀行の支店がある交差点付近から北へ伸びているのが「北国街道」である。江戸時代、宿場町として賑わった街道だ。ここから約80mのところに本日のお目当ての店がある。心を躍らせ、目的地へ向かった。

滋賀銀行がある交差点付近から北へ伸びる「北国街道」

長浜名物「鯖そうめん」を実食

 歩くこと約1分、到着したのは「翼果楼(よかろう)」。長浜名物の郷土料理「鯖そうめん」を提供する人気店だ。古い家屋を利用しており、外観は貫禄たっぷりである。

「翼果楼(よかろう)」に到着

 「鯖そうめん」は古くから長浜で親しまれてきた郷土料理。農繁期、手軽に食べられる定番メニューとして重宝されたほか、長浜曳山祭の客人をもてなすために振る舞われたという。この店を知ったのは、ある方からの情報提供があったからだ。「すごくおいしいんです。ぜひ行ってみてください」と教えてもらい興味を持った。

 早速入店。週末だと行列を覚悟しなければならない。しかし平日、さらに昼時を外したのですぐに入れた。「お好きな席へどうぞ」と案内され、美しい庭に面した席を確保する。

美しい庭に面した席を確保する

 メニューを確認し「鯖街道 焼鯖寿司付」(税込2000円)を注文。さてどんな料理がやってくるのか楽しみだ。

 と思っていたら、あっという間に料理が運ばれてきた。注文して3〜4分しか経過していない。農繁期、手軽に食べられるので重宝されたという意味がよくわかった。

「鯖街道 焼鯖寿司付」を注文すると、3〜4分とあっという間に料理が運ばれてきた

 早速いただく。麺は茹でたてだが粗熱をとってあり、そこへ鯖と煮込んだ汁をかけるというシンプルな構成。箸でそうめんを少量つまんで持ち上げ、そして口へ。甘辛い味付けだが、あっさりとしており美味である。次に焼鯖寿司。私が住む京都でも鯖は好まれているので、とてもおいしく食べた。

甘辛い味付けだが、あっさりとしており美味である

 店内を見渡すと、お友達同士で食事をする女性の2人連れ、ご夫婦、また一人で来店している人など客層は多様である。総じて年齢層は高めだが、それだけに皆さん、静かに料理を楽しんでいる様子だった。

 前述の通り、目の前には美しい庭が広がっている。こんなところで名物料理をいただくとは、なんて贅沢なんだろうか。そんなことを思いながら食事をしていた。

 そして完食、大満足である。店を出てあらためて「北国街道」を歩いたが、郷土料理を堪能した後だからか、少し長浜の街に溶け込んだような気持ちがした。

店を出てあらためて「北国街道」を歩いた