元ジャスコ社長、故・二木英徳さんがイオン幹部にかけた言葉

千田 直哉
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「死にたくなかったら、在職中に次の目標を持ちなさい」

 その後の二木さんの経歴は華やかだ。

 1983年、ジャスコ代表取締役副社長に就任。1984年、ジャスコ誕生 15 周年時には、47歳でジャスコ社長に就任。岡田卓也会長、二木英徳社長による新体制を発足させ、“永久革命”に取り組んだ。

 1996年、ジャスコ代表取締役副会長就任、この間、1995年には日本チェーンストア協会会長も兼任している。2000年にイオン取締役相談役、2003年に同社名誉相談役に就いた。

 根っから商売人。バリバリと仕事をこなした“仕事一筋人間”だった。

 だから、21世紀に突入したころに、実務から離れるに当たっては胸が張り裂けるばかりに苦しんだという。大好きだった実務ができないとなれば、もはや社内では引退同然。名誉相談役というのは、その名の通りの名誉職だったからだ。

 苦しみ抜いた二木さんは、1993年から会長職を務めていた日本体操協会での活動に打ち込み始める。

 その頃、“体操ニッポン”は復活の途上にあった。

 2004年のアテネ五輪で日本男子が体操(団体)で29年ぶりに金メダルを奪取。2008年の北京五輪でも、内村航平選手が個人総合で銀メダル、男子団体総合でも銀メダルを獲得した。

 さらに2009年10月に開催された世界体操競技選手権(於ロンドン)において、男子では内村航平選手が個人総合で金メダル、平行棒で田中和仁選手が銅メダルに輝く。女子では鶴見虹子選手が個人総合で銅メダル、段違い平行棒で銀メダルを獲得し、再び「体操 ニッポン」の時代が到来した。

 その表彰式で、選手たちに隠れる形で破顔一笑、万歳を繰り返していたのは、二木さんだ。二木さんは、実務を離れた際に、次の目標を日本体操の普及、発展に据えたのだ。

 ゼロからのスタートだったが、2001年から2021年までは日本体操協会会長、2021年からは日本体操協会名誉会長を務めていた。

 二木さんは、こうした自分の経験を踏まえて、退職を控えたイオンの幹部を前に折あるごとに「あんた、このままいくと定年後にはおかしくなって死んでしまうよ。死にたくなかったら、在職中に次の目標を持ちなさい」と語りかけ、「不思議なもので、新しい目標を持ち、達成に専心していると、今抱えている仕事の魅力はだんだんと萎んでいくものなんだよ」と励ましていた。

 そして、二木さんは、その言葉通りの人生を全うした。(合掌)

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