スマートフォンやソーシャルメディアなど新しいデジタルツールが飛躍的に活用されるようになったことで、小売業は「リセットの時」を迎えた。従来の商習慣やマーケティング手法を大きく変更する時期が来たと言える。では、いったい小売業はいかにして、この大波に対応すべきなのであろうか?ブライアン・キルコース氏に聞いた。
聞き手/千田直哉(チェーンストアエイジ)
小売業界はリセットの時!
──iPhone(アイフォン)などのスマートフォンやiPad(アイパッド)といったスマートデバイス、またソーシャルネットワークサービスの普及により、消費者は「デジタルメディア」を手にするようになりました。今や消費者は、「いつでもどこでも」情報を得ることができるようになっています。
ブライアン そうです。小売業界は、店舗にバーコードスキャンが導入された時と同じように、現在、「リセットの時」を迎えていると言っていいでしょう。消費者はさまざまなネットワークにアクセスすることができるようになり、豊富な情報を持っています。「参画の時代」(participation age)に入っており、従来の業務モデルを壊して再構築する時だと思います。
──「参画の時代」とは、どういうことですか?
ブライアン 2011年9月、米サンフランシスコで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の場でヒラリー・クリントン米国務長官が使った言葉です。彼女の造語かどうかは不明ですが、その意味は、国家規模の大小にかかわらず、世界経済には世界中のあらゆる国が参加することが可能だ、ということです。
クリントン国務長官は、「ある一定の人数が動くと時代が変わる」と断言していました。
たとえば、1950年代に商業用コンピュータの開発によって始まった情報化時代で、当初それにかかわることのできた人々はコンピュータ科学者などの限られた少人数のみでした。その後、誰もが理解できる単純なシステムであるバーコードの登場によって多数の人がかかわるようになりました。
「参画の時代」が始まったのは、ネットワークがパソコンにつながった時からです。しかし、当初は、その環境を手に入れたのは比較的少ない人数でした。ところが、スマートデバイスの普及によって、現在ある一定の人数が参加できるようになっています。
時代というのは多数の人々が動く時に変わるものなのです。
──それで小売業もリセットの時を迎えていると考えているのですね。
ブライアン そうです。なぜなら、従来の小売業のビジネスモデルは消費者があまり情報を持っていないことを前提にしているからです。
しかし、現在の消費者は情報をたくさん持っています。また、根本的に問題となるのは従来のビジネスモデルでは消費者はお店に行くものでしたが、新しいビジネスモデルではお店は消費者のポケットの中にある、ということです。
もうひとつ。興味深い点として指摘しておきたいのは、以前の商品情報は、パッケージなどに印刷されており、すべてその商品に付随していましたが、現在は分離されていて、情報が独り歩きしていることです。たとえばある商品の購入を検討するに際しては、実際に商品に触れなくても買うことができます。
情報と商品が分離されているのでこうしたことが可能になるのです。今では初めて商品に触れるのは、宅配便から商品を受取った時などということも日常茶飯事です。
5つのCがキーワード
──では、小売業がリセットして、新しいビジネスモデルを創造する際のヒントは何だと考えていますか?
ブライアン 私は、「5つのC」とキーワードを挙げています。従来、小売会社が関心を持っていたのはcommerce(取引)、つまり商品を売ることのみでした。
しかし、ほかにも4つの大切な要素があり、それらはすべて「情報」が主体となっていることに気付くべきでしょう。
残りの4つのCとは、ひとつにカスタマー(customer:消費者情報)です。誰がお客なのか、来店頻度、リピーターか初めてのお客かというさまざまな「情報」です。
2つめは、コンテキスト(context:状況)です。消費者の生活のどういう問題を解決したいのかという「情報」になります。3つめは、コンテンツ(content:内容)であり、商品そのものの「情報」、そして4つめはコミュニティ(community)で、他社はお客の問題を解決するために何をしているか、という「情報」になります。
今ではcommerce以外のCがcom-merceと同じぐらい重要になってきているのです。
──具体的に小売業は、どのような転換の努力をすべきでしょうか?
ブライアン 図1を見てください。従来のビジネスモデルにおいて、小売業の本部は真ん中に位置していました。次にお店があって、一番外側に消費者がいました。
以前のシステムやプロセスでは、「情報」はすべて本部に集約されていて、決定権も本部にありました。店舗にも少しは決定権が与えられていたかもしれませんが、基本的には本部に集約されていました。そして、消費者は物を買うことしかできませんでした。
しかし、新しいモデルでは「情報」はどこからでも出てくるし、逆にその「情報」が本部にフィードバックされています。
この図でいうなら、消費者はウォルマート以外にもアマゾンやターゲット、その他さまざまな所から「情報」を得るわけです。たとえば消費者が「この金額は払いたくない。ターゲットやウォルマートのほうが安い」となると、店舗はその金額に合わせざるをえません。したがって、新しいモデルにおいては「情報」を図の円の外側まで届けるのが最善の策と言えます。
消費者はどんな「情報」でも入手できるので、小売業は消費者が求めている「情報」をきちんと提供することが重要になります。もし、ウォルマートがその「情報」を提供しなければ、ほかの誰かが提供することになるからです。
それを実現するのがクラウド・コンピューティングでしょう。「情報」と商品が分離しているので、その「情報」をどうやって決定権を持っている人(=消費者)に届けるかが重要になります。昔のモデルではそれが本部にありましたが、今は消費者 にあるということを常に忘れないことでしょう。
──米国で新しいビジネスモデルを具体的に創造している小売業はありますか?
ブライアン 百貨店のノードストロムです。従業員はサプライチェーン内のどの段階でも、商品在庫を調べることができるのです。つまり、店頭に在庫がなければその場で調べて、在庫のありかを突き止めお客の家に配送する手配ができる。現在こうした取り組みを実践しているのは従業員ですが、今後は同じような手段を消費者にも提供できるようになるでしょう。
また、米国にはQRコードを実験的に導入している食品スーパーマーケットもあります。商品の棚にQRコードがあり、それをスキャンするとお客はその商品を使ったレシピや組み合わせのいい食品やその他のアイデアを入手できるというものです。
今現在、注目されているのは、お客が来店したことを、その時点で小売業者に知らせるシステムです。これが実現できれば、来店したお客に特別な「情報」を提供できるようになるでしょう。これには多くの障害があり、実現は難しいかもしれません。しかしこれまで、セルフサービスのお店で小売業者がお客と触れ合う機会は、精算する時だけでした。しかし今度は買物中にお店と接点を持つことができるようになるのです。
いずれにしても、現在の「情報」は、お客ではなく従業員の方を向いています。今後はもっとお客に向けて「情報」発信すべきだし、スマートデバイスを活用すればそれは案外簡単にできることだと思います。実際、米百貨店メイシーズのテリー・J・ランドレンCEO(最高経営責任者)はそれが最も重要な課題であると宣言しているし、大胆な改革に乗り出しているのです。
小売業にはイノベーションが必要
──新しい取り組みを具体化するに当たって「情報」以外に重要なことは何でしょうか?
ブライアン ひとつには、お客の「来店体験」をデザインすることです。たとえば、低価格で食品を提供するお店であれば、価格と利便性が大事なので、なるべくお客が商品を選びやすく滞在時間が短くて済む方法を考えるべきでしょう。逆に高級な商品を販売するのであれば、いかに店頭に長く滞在してもらうかと考えるべきです。
私が推奨しているのがChief Customer Experience Officer(最高来店体験責任者)のポジションを設けることです。その人が店全体における「来店体験」の責任者になるのです。その内容は他社に相談するのではなく、自社で開発する。自分たちはどういうブランドなのか。お客さまのどういう問題を解決したいのか。生活の基本的なニーズを満たすのか、もっと発達したニーズを満たすのかということです。
もうひとつ重要なのは、実現のための「プロセス」です。小売業が商品を調達し消費者に届けるための「プロセス」は効率的かつ余計なコストがかかってはいけません。しかし小売業は過去の手法にこだわる場合が多く、「うちは常にこうしているから」が口癖になっています。こうした体質から脱却していかねばなりません。
──日本で新たなビジネスモデルを構築しようと努力している小売企業はありますか?
ブライアン 日本の小売業の最新事情には詳しくないので言及を避けますが、トヨタ自動車は「イノベーション」という部分で注目しています。現在、小売業には「イノベーション」が求められているからです。
『ライフサイクル・イノベーション』を執筆したジェフリー・ムーアは、著作『キャズム』で「イノベーション」の法則を紹介しています。
企業は新たなアイデアをいくつか生み出すとそれらを実験し、よければ世に送り出します。いい物は必ず競合に真似されるので、真似されたら最適化を行い、超効率化して儲けを貯め、新たなアイデアに投資しなければいけません。
いい物を世に送り出せばそれがミッション・クリティカル(基幹事業)になりますが、真似されればミッション・クリティカルではなくなるし、他社との差別化も図れなくなるわけです。
トヨタを例にとれば、同社が新たなデザインの新たな機能を搭載した車を開発したとします。それが発売され人気が出ると、日産とホンダも真似をする。そうなればトヨタはコストを極力抑えて、次のアイデアに投資します。そして、もしこうした「イノベーション」のサイクルが自動車業界で行われていなければ、われわれは今でも1960年代にあったような車に乗っているかもしれないのです。
同じことは、小売業にも当てはまります。小売業は「イノベーション」を得意とはしていませんが、今は消費者行動の変化するスピードが速くなっており、逆に小売業に変革を求めるようになっています。したがって、小売業もその変化に対応しなければならないでしょう。
いずれにしても、今の段階では、小売業界において、誰が次世代の勝者となるのかはまだわかりません。古いモデル(ユニチャネル)から新しいモデル(オムニチャネル)にどう移行していくか。ビジネス・インテリジェンスを活用し、リアルタイムで対応できる事業を構築しなければならないでしょう。
日本の消費者はどこの国よりも早くスマートデバイスや新しい技術を使いこなしています。しかし問題は、小売業者がそうしたモバイルを活用して消費者を取り込む方法を開発できているか、ということに尽きます。
そして、消費者は今後、こうした技術をどんどん利用するでしょう。たとえば日本では携帯で電車の路線図を見てどこの駅で降りるかを調べることができます。
小売業もこうした技術を使い、消費者に買物させることができるかを考えてみたいところです。