何が難関で、どう乗り越えたか

2012/01/19 18:20
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株式会社ニトリ代表取締役社長 似鳥 昭雄氏

 大学を卒業して就職したがうまく行かなくて、自分でやるしかないと腹をくくって「似鳥家具店」を創業したのが1967年。そこから始まって1972年まで家業の時代、73年から82年までは店づくり、拡大期に入って83年から92年までの10年間の人づくりの時代。さらに、93年から東証1部に上場する02年までの10年間、その後の03年から08年までは業容が拡大し競争時代となる。09年からは「ごりやく時代」とニトリの歩みを区切ってみると、それぞれの時代にさまざまな難関があり、それを独自の工夫で乗り切ってきた。


 67年に創業し、最初は売上も伸びず、利益も出ないために従業員も雇えなかった。まだ23歳だったが結婚を機に、妻が人当たりのうまさを発揮してくれて徐々に売れるようになった。それで72年に札幌市に2店目を開業したが、近くに店舗面積で5倍もある家具店が出店してきて、たちまち苦境に陥ってしまった。もう倒産するしかない、というときにどうせ潰すなら最後にアメリカでも見て来ようと思い立ったのが、今日のニトリを作るきっかけになった。


 アメリカに行ってみて衝撃を受けたのは生活の豊かさ。商品の価格は3分の1程度。日本と給与水準がほとんど同じだから、3倍も豊かな生活ができる。日本の消費者にもこういう生活を定着させたいというロマンを感じて、それには絶対にチェーンストアが必要だと思い帰国した。帰国したものの資金はない。店舗も建てられないので、エアドーム型の店舗を開店したりしたのもこの時期だ。低価格で品質のよい商品を売るためには、メーカーから買い付けるしかないと判断した。アメリカで日本の3分の1の価格で商品を売れるのは、流通業が実現したことである。つまり、流通がコントロールしてメーカーに作らせている。それに対して日本はメーカーや卸の支配が強く、流通業が上位に来ることはなかった。メーカーをコントロールするためには、たくさんの店で多くの商品を売るしかない。それがチェーン展開しようという発想につながったわけだ。


 しかしそう思っても、なかなか容易ではなかった。北海道で仕入れができず、新潟に行って買い付けたり、やがてそこでも買い付けができなくなり本州を南下し、九州のメーカーにまで行った。その頃、85年にプラザ合意があり1ドル120円になり、これはチャンスだと判断して台湾メーカーから仕入れるようになった。しかし、品質が悪く、消費者からはクレームが山のように来る。社員からは「もう海外製品は仕入れないでくれ」と泣きつかれたが、それでも海外から仕入れるしか競争に勝つ方法はない。その後は自社工場をインドネシア、ベトナムなどに建設し安価な労働力を生かして低価格で高品質の商品を生産するようになった。実はインドネシアの工場は、日本メーカーが撤退した設備を買収したが立地環境がいわくつきの物件。治安が悪く強盗も多い。ガードマンを雇ってもそのガードマンが泥棒だったりして、ガードマンを見張るガードマンを雇い、そのガードマンを見張るガードマンを雇わなければならないというお笑いのような環境。日本メーカーが撤退するわけだが、ニトリは意地でも撤退しなかった。インドネシアで暴動が起きて日本人が引き揚げたときでも、インドネシア工場の日本人スタッフは引き揚げなかった。


 海外工場網が充実して来るのと並行して海外調達網も拡大した。さらにコストダウンと品質維持のために原料・材料の調達から生産、海外の物流拠点の運営、輸送の手配、国内物流網の整備などニトリはすべて自前で構築した。そうすることでノウハウが蓄積し人材も育つ。


 人材育成の点でも数々の苦労があったが、大卒社員は入社から20年間でA級のスペシャリストに育てる仕組みがある。新入社員研修もアメリカに連れて行き、実際に買物をさせてみる。そうしてアメリカの豊かさを実感し、日本人の生活を豊かにするというロマンを抱かせる。本当に楽しい買物とは価格を気にせず買うこと。日本は価格で悩み、安いところを探すといったように消費者が悩み、苦しみながら買っている。それでは楽しいわけはないと私は感じている。新入社員にもまず、それを認識させている。


 加えて人事面でも、基本2年間で次の部署に異動する配転教育方式をとっている。多くの経験をすることで技術が身についてくる。ニトリでは60歳を過ぎて80歳になっても技術があり、その人を必要とする部署があれば働くことができる。また、優秀な人材ならば外部からスカウトすることも積極的に行っている。中で育った社員だけでは新しい発想が出てこないからだ。また、社長以外は専務でも5年ごとに1年間は現場に出る。5年で市場は変化しているので、現場で頭を切り替えてくるわけだ。


 人材にも店舗にも年齢がある。店舗年齢は人材の4倍と考えていて、10年の店舗は40歳。15年ならば通常は定年となる60歳だ。だから店舗ネットワークはスクラップ&ビルドを続けている。まず第1に昨年対比で客数が減った店舗。売上高や利益ではなく客数で判断している。だから利益が出ているのに閉鎖するケースもある。ここでスクラップをためらえば必ず業績は傾く。


 ニトリは約200店舗を展開しているが、次の目標は500店。それもひとつのロマンだ。成功するための5原則はロマンとビジョン、意欲、成功するまでやめない執念、好奇心だと考えている。それを持ち続けることがニトリの成長につながっている。

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