農家をメーンターゲットとする異色のホームセンター、単独経営を貫くジュンテンドーの戦略

高浦佑介(『ダイヤモンド・ホームセンター』誌副編集長)
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中国・関西エリアを中心に、126店のホームセンター(HC)を展開するジュンテンドー(島根県)。同社は、1969年に島根県益田市にホームセンター(HC)を開業し、2019年9月でHC創業50周年を迎えた。再編が進むHC業界で、単独経営を貫く同社の飯塚正社長に50年の歩みと今後にかける想いを聞いた。

ジュンテンドー外観
ジュンテンドーは1969年にHCをオープン。2019年9月に50周年を迎えた

脱バラエティ型で
競合に対抗

──HC創業50周年、おめでとうございます。改めて、御社の50年を振り返って、どんな想いがありますか。

飯塚 社内報などにもこの50年のことを書いて、やはり、長い歴史と感じる。50年前に、荒物雑貨、家庭用品を扱う「ハウジングランド順天堂駅前店」を開業し、日本で初めてのHCと言われた。私は当時、小学生だったが、いまでもオープン日のことは覚えていて、感慨深いものがある。

──当初はどのような店舗を展開してきましたか。

飯塚 当社は1990年代くらいまでは150坪の小型店中心に成長してきた。品揃えは家庭用品が中心のバラエティ型HCで、当時は競争もあまりなく、量販店的な品揃えで十分成り立った。

しかし、その後、コメリ(新潟県/捧雄一郎社長)さんやコーナン商事(大阪府/疋田直太郎社長)さんなどの大手が中国地方にも進出して、2010年頃まではHC同士の競争が激化。大手HCとの競争を強いられ、これに立ち向かった。

2010年代からは、九州からコスモス薬品(福岡県/横山英昭社長)さん、ダイレックス(佐賀県/多田高志社長)さん、トライアルカンパニー(福岡県/石橋亮太社長)さんなど、DSDSが進出して、他業態との競合も激化した。当社がそれまでメーンとして扱ってきたバラエティ型商品の価格競争が熾烈になり、業態を超えた新たな競争が始まった。

飯塚正社長
ジュンテンドーの飯塚正社長

──まず、HC同士の戦いでは、競合HCにどう対抗したのですか。

飯塚 もともと大店法(大規模小売店舗法)の適用を受けない売場面積150坪型を大量出店してきたが、1990年代にはHC同士の競争に加え、ダイソー(広島県/矢野靖二社長)さんも大量出店して100円ショップとの競争も激化した。家庭用品や台所用品、文具などはずいぶん取られた。

大店法緩和後は、300坪の店をどんどん出した。さらに、2000年以降は1000坪前後の出店に切り替えた。

そこで、2000年に、園芸・農業用品、ハードを強化しようと大号令をかけた。競合するHCはもともと大型店を持っていて、園芸・農業用品、ハードも強かった。当社の出店地域は田舎が多く、農家が多かったので、園芸・農業用品は比較的うまくいき、5年くらいでなんとか売上も取れるようになった。しかし、田舎では職人がそれほど多くなく、ハード系の需要は高くない。そのため、ハード系の強化には時間がかかり、7年たっても売上が取れなかった。

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