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イメージ戦略や、知名度を高めるために社会活動や環境活動する時代は終わった    私たちの活動に興味を持っていただいた「低炭素杯201
今日は2015年3月11日。東日本大震災から丸4年のメモリアルデーです。被災された方には心からお見舞いを申し上げ、亡くなられた方には御冥福をお祈りいたします。今
今回の震災は、本当にいろいろな意味で考えさせられること、気づかされたことが多かった。いつも当たり前にそこにあるものが、実はとても得難い、貴重な宝物であったことに
震災後の数カ月間は瞬く間に過ぎていった。当初の混乱が収まり、全国各地や世界から支援の人たちや物資が入り始めると、生きるか死ぬかという極限状態から脱し、急速に通常
震災から数日が過ぎて、当所の極限状態がなんとか一段落すると、状況はめまぐるしく変化していった。 震災後数日は、水やカップ麺、電池、赤ちゃんのミルクなど、命をつな
ガソリンを確保できたことで、何度が関東と宮城を往復し、貴重な物資を調達することができた私たちだったが、3月17日(ごろになると、それまで支えてくれたガソリンがい
早い段階でガソリンを確保できていたことで、私たちは水やカップ麺、それに豆腐や納豆、ヨーグルトなどの日配品、一時的には生肉さえ扱うことができた。しかし、なかなか手
震災から数日が過ぎると、ようやく生活インフラの復旧が始まった。2011年3月15日(火) になると、古川北町店、仙台赤石店など一部の店舗で通電。レジが動くように
未曾有の災害に見舞われ、多くの店で従業員自身も被災した中で、被害の深刻な数店を除く9割の店舗で、翌日から営業を再開できたことは、不幸中の幸いだった。まだ電気が通
本社に戻ると、経営幹部以下、すでに集合し、震災直後から泊まり込みで事態の把握に動いていた。けれど、現地の人ほど情報がない。地元のテレビ局やラジオ局も被災している
震災の日の夜、帰宅難民となった私は、なんとか長男の家に身を寄せることができ、とりあえず落ち着く先を確保したものの、とてもじっとしてはいられない。なんとか宮城に戻
その日、3月11日の早朝、私は、仙台駅の新幹線ホームにいた。当社は、宮城県ではまだ珍しい障害者特例子会社を運営しており、その関係で、障害者特例子会社全国連絡会に
地域社会のライフラインが一瞬にして崩壊したあの衝撃から、1年。まさに孤軍奮闘でライフラインを担わざるをえなくなったスーパーマーケットのリーダーは、何を考え、いか