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第7回

2012年5月10日

ミルクがない!
危機に瀕する赤ちゃんの命を救ったのは

吉田 芳弘

ウジエスーパー取締役
吉田芳弘 よしだ・よしひろ
大学卒業後リクルート入社、平成16年からウジエスーパー勤務。 現在、総務・人事・広報の他に、障害者特例子会社を経営している。 東北経済産業局農商工連携伝道師など、公職多数。

「私がいくしかない」

 

 早い段階でガソリンを確保できていたことで、私たちは水やカップ麺、それに豆腐や納豆、ヨーグルトなどの日配品、一時的には生肉さえ扱うことができた。

 

 しかし、なかなか手に入らなかったものもある。

 

 たとえば、粉ミルク。

 

 この頃、登米市の布施孝尚市長がわが社に直接やってこられ、こう懇願された。

 

「粉ミルクをなんとか調達していただけないか」

 

 登米市は、沿岸からはやや離れており、津波の被害は免れたが、位置的に、南三陸、大船渡、気仙沼など、被害の大きかった地区のちょうど中継地点に位置する。そのため、沿岸部から避難してきた人々の避難拠点となっていた。

 

 このときは、みんな着の身着のままで、何ももっていなかったが、それでも大人たちはなんとかなる。

 

 水がなければジュースでいい、パンがなければ米でも麺でもいい。

 

 お金がなくても、あるものをみんなで分け合って支えることができた。

 

 しかし、赤ちゃんはそういうわけにはいかなかった。母乳とミルク以外に代替するものがないのだ。

 

 ショックと疲労のため、母乳がとまってしまったお母さんも多かった。

 

 命からがら逃げ出した被災者は、当然、ミルクなど持ちあわせていない。

 

 市や病院の備蓄もすぐ底をついてしまうだろう。

 

 1日でもミルクが切れたら、赤ちゃんの命が危ない。

 

 そのとき、「ウジエならどうにかしてくれる」という一縷の望みを託して、布施市長は訪ねてきたのだ。

 

「どうかお願いします。赤ちゃんを救ってください」

 

 そう涙ながらに頼まれて、意気に感じないはずはない。

 

 氏家社長は二つ返事で

 

「わかりました、なんとかしましょう」

 

と答えた。

 

 さて、返事をしたはいいが、どうするか。

 

 そのころ、私たちは車とガソリンを手配できたが、電話さえろくに通じないため、情報がなかなかとれない。当然、発注システムはすべてダウンしたままだ。そのため、メーカーや問屋さんの物流拠点にとりあえず車で乗り付けて、あるものを片っ端から運んでくるような状態だった。

 

 しかし、今度はそういうわけにはいかない。必要なのはミルク限定である。しかも、一両日中に、早急に用意しなければならない。

 

 その時、これは、

 

「私がいくしかない」

 

と思った。

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