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第5回

2012年4月26日

被災翌日に9割の店で営業を開催

吉田 芳弘

ウジエスーパー取締役
吉田芳弘 よしだ・よしひろ
大学卒業後リクルート入社、平成16年からウジエスーパー勤務。 現在、総務・人事・広報の他に、障害者特例子会社を経営している。 東北経済産業局農商工連携伝道師など、公職多数。

被災を免れた従業員の7割8割が翌日早朝から出勤

 

 未曾有の災害に見舞われ、多くの店で従業員自身も被災した中で、被害の深刻な数店を除く9割の店舗で、翌日から営業を再開できたことは、不幸中の幸いだった。

 

 まだ電気が通じていないため、レジスターが使えず、店内の照明もつかない。通常営業はとてもできないが、商品が散乱する店舗の中から、水、カップ麺、カップスープ、米、缶詰など、緊急に必要になるだろう商品をかき集め、袋詰めにして店頭に並べ、なんとか営業を再開した。

 

 損得やコスト計算をしている場合ではない。

 

 袋詰めにして、総額600円とか1200円ぐらいのものを、端数を切り捨てて500円、1000円で売る。

 

 売れるものは売り、売れないものは無料で配った。

 

 停電で冷蔵設備がとまっているので生鮮品はもうだめだが、外気温が零下だったので冷凍食品はなんとか無事だった。しかし、それも、もう1日おけば廃棄するしかなくなる。どうせ捨てるものなら、お客さまに無償で差し上げようと、全店で配った。

 

 簡単に書いたが、こうした対応が9割の店舗でほぼ同時にできたのは、極めて難易度の高いことだった。

 

 あれだけの災害の翌日である。

 

 電話は通じない。従業員はお互いの安否さえわからない。

 

 店を開けたとして、商品が届くのか、殺到するお客さまをどうお迎えすればいいのか、誰もが困惑しただろう。

 

 被災直後から、窃盗目的の輩がすでに出没し始めており、治安が極めて悪かった。震災当日は安全のため、全員を帰宅させた。

 

 翌日の営業がどうなるか、この時点ではなんの指示もない。

 

 本部からの指示やバックアップが得られない状態の中で、それでも、被災を免れた7割8割の従業員が翌日の早朝から出勤し、もくもくと作業を始めていた。

 

「私の仕事シート」による行動指針の相互確認が奏功

 

 震災翌日に店をあけていたスーパーマーケットは、私が知るところ、宮城県では数えるほどしかなかった。

 

 仮営業を開始するまでに、長いと一週間ぐらいかかった例も珍しくない中で、ウジエスーパーでは、なぜ、翌日から営業できたのか。

 

 それは、震災のあった直前まで、2年間をかけて、社員一人ひとりに「自分の仕事はなんだ」という意識づけを持たせるための取り組みを進めていたことが、極めて大きな要因になった。

 

 2009年頃、リーマンショック後の世界同時不況の余波が、宮城県にも訪れていた。

 

 市場の競争はますます厳しさを増していた中で、ウジエスーパーとしても新時代に向けた体制強化が必要だった。

 

 そこで、私たちは、改めて企業理念、行動方針を整理するところから取り組んだ。

 

 ウジエスーパーの歴史の中で、遺伝子として連綿と受け継がれた想い、あるいは信念といったものを、改めて分かりやすく言語化し、「食を通した社会貢献」という指標に集約。

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