ホーム   特集&連載    DRMオンライン・オリジナル    1年後からの未来 
記事タイトルバナー

第3回

2012年4月13日

東京から宮城県まで、
40時間かけてたどり着く

吉田 芳弘

戻る方法に必死に頭をめぐらす

 

ウジエスーパー取締役
吉田芳弘 よしだ・よしひろ
大学卒業後リクルート入社、平成16年からウジエスーパー勤務。 現在、総務・人事・広報の他に、障害者特例子会社を経営している。 東北経済産業局農商工連携伝道師など、公職多数。

 震災の日の夜、帰宅難民となった私は、なんとか長男の家に身を寄せることができ、とりあえず落ち着く先を確保したものの、とてもじっとしてはいられない。

 

 なんとか宮城に戻る方法はないか、必死に頭をめぐらしているとき、ふと、窓の外に見える、とある奇抜な建物が目に付いた。

 

 まるでお城のような、下町の住宅街には似つかわしくない威容を目にした私の脳裏に、ある光景がよみがえった。

 

 それは、震災の少し前のこと、宮城で豆腐を製造する菅野食品さんと商談したときの光景だ。このとき菅野社長は、北区にあるタクシー会社と業務提携しているという話をされた。私はその話にピンと来るものがあった。

 

 というのは、その1か月前、やはり所用で上京したおり、今回と同じく長男のところに立ち寄った。そのとき、長男の家の窓外に見える、お城のような奇抜な建物が気になり、長男に「あれ、なんだ」と聞いたら、タクシー会社の本社だという。

 

奇抜な建物が一縷の望み

 

 「へえ、変わっているな」

 

 となんとく印象に残っていた。そのタクシー会社の本社ビルこそが、いま目の前に見えている建物だった。

 

 「これだ!」

 

 すでに深夜だったが、迷惑を承知で、一縷の望みを託し、菅野社長に電話した。すると運よくつながった。

 

 「夜分に申し訳ありません、無理を承知でお願いしたい。ご存知の通り、いま宮城は大変な状況なのに、私は東京にいて帰れない。偶然にも、いま、社長がお知り合いの例のタクシー会社の近くにいます。どうか社長のご尽力で、車を一台、都合してもらうことはできないでしょうか」

 

 菅野社長は深夜の電話にもかかわらず快く応じてくださった。しかし、「車はすぐに用意できない。明日にはなんとかなるかもしれないが、宮城までは無理だ」という。

 

 「いえ、宇都宮までで結構です」

 

 本社にやっとたどり着いたのは……

 

 宮城への電話はなかなかつながらなかったが、本部の情報システムの人間とたまたま電話がつながったとき、

 

 「宇都宮にある取引会社の営業車を借りられるよう手配するので、宇都宮までなんとか自力できほしい」

 

 ということだった。

 

 「宇都宮ならなんとかなりそうです。明朝までお待ち下さい」

 

 菅野社長のお取りはからいにより、約束どおり、翌早朝、タクシーを都合していただくことができ、宇都宮に向かった。高速はまだ閉鎖されたままである。

 

 一般道で宇都宮へ、6時間かかって、やっとたどり着いたら、すでに時刻は昼をまわっていた。

 

 取引先に到着すると、すでに話はついていた。そこで車を借りて宇都宮を出発したのが午後3時。この時点で震災から丸一日がたっていた。

 

 ここからの道のりがさらに困難を極めた。高速は全面封鎖されているので、一般道を進むしかない。信号はついていないし、そのうち日が暮れても街灯がつかない。

 

 被災地が近づいてくると、道には地割れが走っている。そんないばらの道を、真っ暗闇の中、ヘッドライトの明かりだけをたよりにひたすら北へ向かった。

 

 そうして、宮城県登米市の本社にたどり着いたのは13日の朝7時。震災から40時間の行程であった。

Special topics