ローソン 玉塚元一新社長のプロフィール

2014/03/25 00:00
Pocket

 2014年5月1日にローソン(東京都/新浪剛史社長)の新社長に玉塚元一(たまつか げんいち)現取締役代表執行役員COOが就任する。3月24日に開かれた新経営体制記者会見の模様は、明日から報告するとして本日は、玉塚元一氏がどんな人物なのか、ローソンから配布された資料をもとにまとめてみたい。

 

 玉塚元一氏は、1962年5月23日生まれの51歳。慶應義塾普通部(中学)からラグビーを始め、慶應義塾大学3年生時にフォワード(フランカー)のレギュラーを獲得。4年生時には、関東大学対抗戦を全勝優勝し、大学選手権では準優勝を果たした。

「目標を決めて、努力すれば必ず結果が得られるという自信がついた」(玉塚氏)。

 また、「One for all. All for one.」というチームプレーの原点も学んだという。

 

 1985年に海外で活躍したいという思いを胸に旭硝子(東京都/石村和彦CEO)に入社する。

 千葉県市原市の工場に配属され、生産・物流管理を学ぶ。工場の現場で「モノ作りの原点」を2年間勉強。その後の現場主義の原点になる。

 27歳の時にシンガポールに駐在し化学品の事業に携わる。駐在の4年間にビジネスマンとしての力不足を痛感し、帰国3年後に米国ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院に留学しMBAを、またサンダーバード大学大学院で国際経営学修士号を取得。帰国後に旭硝子を退社する。

 

 1998年に情報システム関係について学ぶために日本IBM(東京都/マーティン・イェッター社長)に入社。3社目に営業したクライアントがファーストリテイリング(山口県)で柳井正社長に魅かれ転職する。

 

 ファーストリテイリングには、1998年から2005年まで7年間在籍する。

 入社当時の売上高は800億円、利益は60億円の中堅企業。その後、フリースブームが到来し、1000億円の売上高が2年間で4000億円に成長。ブームが去った後の2002年に39歳で社長に就任。売上減が止まらなかったファーストリテイリングを再生軌道に立て直した。

「さまざまな経験を柳井さんと一緒にして、本当に鍛えられた。柳井さんからは商売の原理原則、経営者のあるべき姿など、強烈に指導してもらった。売上が急降下して、莫大な在庫が積み上げる中、もう一度、お客様のニーズに立ち戻り、多くの取り組みを実施した。当時のあのステージのユニクロの中では、ひとつのミッションをやり遂げたなと思っている。柳井さんには大変、感謝している」(玉塚氏)。

 

 2005年、一念発起して自らリスクをとって、再生会社リヴァンプを立ち上げる。ロッテリアの再生やクリスピー・クリーム・ドーナツの日本展開を手掛ける。

「リヴァンプではヒト、モノ、カネがない中で知恵を絞り、『人間力』で新規事業を生み出すノウハウを学んだ」(玉塚氏)。

 

 そして、2010年、ローソンに入社。入社後、3年半の主な実績を列挙すると…。

 

 ① ゲンコツメンチや黄金チキンなどファストフードの大型ヒット商品を開発

 ② コンビニコーヒーの火付け役「MACHI café」事業拡大と店舗の接客レベル改善

 ③ 店内調理の厨房事業を軌道に乗せ2000店舗規模に拡大

 ④ 原材料管理、製造ベンダーや物流の可視化を推進、サプライチェーンマネジメント全体の需給バランス適正化の仕組みを構築

 ⑤ Pontaカード分析機能強化、商品開発や自店Ponta会員レポートに活用

 ⑥ 多店舗経営者であるMO制度を推進し、約90人の経営者を育成

 ⑦ エリア会やオーナーズミーティングに積極的に参加し、支店や加盟店の士気を向上

 

「私が幸運だと思うのは、柳井正さん、新浪剛史さんという日本を代表する経営者に直接、薫陶を受けたこと。やりたくてもやれない。そのなかでさまざまな経験をさせてもらった。この学びのエキスとエッセンスのすべてを今後のローソンの飛躍にぶつけていきたい」(玉塚氏)。

 

 なお、玉塚氏の社内評は、「加盟店とのスキンシップを重んじ、信頼が厚い」「組織や人財を引っ張る新しいリーダー。チームワーク、組織力を重視している」「明るく元気でローソン内に希望を与えられる人」「バイタリティにあふれている。年末年始も店舗巡回の合間に早朝5時から1時間のランニングを毎日していた」「家族を大切にしている」「過去の自慢話は一切しない」と非常に多岐にわたる。
 

© 2024 by Diamond Retail Media

興味のあるジャンルや業態を選択いただければ
DCSオンライントップページにおすすめの記事が表示されます。

ジャンル
業態